*電子うさぎの記憶* v.2.0

*電子うさぎの記憶* ヴァージョン2です。 C-PTSDと共に生きています。

・子離れと親離れ

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子猫のコトリさんのSOSを受け取ってから3ヶ月が過ぎました。

私のゴタゴタがありながら、よく生きてくれたなあと思っています。


ニンゲンの余裕がない中、自然界の強さに「なにくそ~TT」生き続けられたのも、コトリさんのお陰です。

なにはともあれ、私も「もう限界、もう、自然界にリリースするっ」と何度思ったか分かりませんが、昨日、コトリさんにその時の事を真剣に話したのです。

「あなたは、とても強いんです。SOSを出して命を守ろうとした力があります。でも、敵と味方が分からなければ、ケージに入ってもらうしかありません。自分の命をそこまで大切にした強いあなたが、自分のウンチをその辺にしたら、狙われます。ご飯を自分で食べなければ、あなたはその強さを知っていながら、自分の命を捨てなければなりません。
残念ながら、私は、どう頑張ってもコトリさんの代わりに食べることもできません。
ウンチをしたりシッコをしたりする場所を自分で決めて、そこで出来なければ、私に狙われなくてはならなくなります。
私は、コトリさんが強いことを知っています。
あの時のコトリさんを、コトリさんが忘れるはずがありません。
どうかね、思い出してください。
私は、あなたの命の代わりになれないのです。がんばっても、どうしても、あなたの代わりに生きられないの。
コトリさんは、もう自分の事を自分でやれます。あの時の、生きたいと叫んだ時のことを思い出してください。
並の力では生き延びられないのが、自然界なのに、命の限りに叫んだあの時の強さを思い出してください。
私は、その力を信じています。私の命が続く限り、コトリさんを、どうか、守らせて下さい。
私が側にいることを許して下さい。
しかし、ね、ウンチと、シッコは、トイレで出来るまで、私はココから出すわけにはゆきません。
ご飯を食べて、お水を飲んで、自分で寝て、起きなさい。
コトリさん、私はあなたにご飯をあげなかったことはありません。それは、あなたが大切だからです。
お水を変えなかったことも、きれいなお水を用意することも忘れたことが有りません。それは、あなたが、大切だからです。
トイレをきれいにして、ウンチやシッコの片付けをしなかったことはありません。それは、あなたが大切だからです。
虫も、あなたが「嫌だ、嫌な感じがして何とかして!」と、言った時に、虫をあなたから追い払ったのは、あなたがとても強く、体も丈夫だったから、私もお薬を付けさせてもらうことが出来ました。
あなたが弱かったら、虫を駆除することが出来なかったのですよ。あなたは、強いんです。
全て、ここまで、あなたが自分の力で生きようとしてきたことを、私は知っています。だから、大切なんです。」

と、話している間に、コトリさんはじ~っと私の顔を見続けて、彼女の手を差し出して、私の手をそっと触ったあと、ケージ内の毛布の上でノビ~っとして、ウトウトしてしておりました。
私の目からは、ラクソ~にしか見えませんでした。

これがどういうことなのか、私には分かりませんが・・・。
最近のコトリさんは、威嚇したり噛み付いたり、距離をとったり、逃げたり、かと思えばビッタリくっついてたり、後ろからジャンプしてトイレ掃除の私の背中に飛びついたりしていて、「こりゃ、コトリさんは親離れが必要な時期だな」と思いました。

いろんな猫族を見ていますが、「自分で食べて飲んで、歩けるようになって、危険な場所を避け、きちんと威嚇できるようになる」と、親離れをしているようです。

猫族の母さん達は、その時、子どもを押しのけて自分のご飯を優先します。
子どもが食べるのを見守るのは、子どもが子どもである時だけですので、親離れ子離れの時は、親も子も「対等な猫族」として、親が子どもに「あなたは、私のテリトリー内に居る敵」ということを教えます。

そうやって、同じ種族で対等な大人になったら、なんとな~く、距離を空けて、なんとな~く一緒に居られるようになります。

決してベタベタせず、猫さんの大人同士でも、同じ場所に居るようでいて、境界線をきちんと守れるようになったら、その辺りに一緒にいる姿をよく見ます。

猫の集会は、程よい距離でボッケーと話し合いをしているようにしか見えませんが、あの雰囲気は何でしょう。

群れではなく、程よい距離を取れるようになって、初めて対等な同族として、もう一度迎え入れられるのが、親離れ・子離れのようです。

人も、そうかも知れないですが、はっきりさせなければならない時、猫族は凄いです。


猫母さんの子離れの時の様子の「私は、もう、お母さんではありません。同じように、生きている生き物です。相手の生命を脅かすようなことをしてはなりません。もし、私が敵であるのであれば、かかってきなさい。住み分けが出来たら、私はあなたの境界線を侵しません。しかし、私の境界線(身体を含める)を侵したら、私は、私を守ります。」は、邪魔できません。

私にとっては結構キツイですが、コトリさんはもう大人になりかけていて、最後の力を振り絞って甘えようとしているのかもしれません。

しかし、コトリさんも、私も、そこを超えないと、肩を並べてボッケ~とできません。

お互いを放っておいても、「ま~、大丈夫じゃろ」という風に、距離を保てません。


鬼になるっていうか、親のほうがキツイ時があるので、大変です。


子どもにしてみたら、「なんで?なんで~~~!昨日までと違うじゃん!」って思うかもしれないのですが・・・。

私からしてみれば、「あのねえ、アレだけ噛み付いて、私の足の肉を爪でサクッと切り裂いて血がピューってなるほど狩りが上手になって、凄い高さまでジャンプできるようになった奇跡を私は目にしているのだよ。私が見てない振りをしている時、コトリさんがすっげ~伸び伸びして、体伸ばして鼻歌まで歌ってて、見られてるのに気がついた時に、慌てて子どもに戻ったじゃん!お見通~しです。このバカタレ。誰に似たんだろうか?私だな。くっそ~!」という、ブーメランを食らってるんですよ。

子育て終了!のタイミングって・・・。そういえば、その昔、前の猫さんも「え、あんた誰よ!ま、居てもいいけど、邪魔しないでよ」というときがありまして、私のほうがショックを受けてましたが・・・。


どの子どもも、違うんですね。

ただ、私の不甲斐なさは覚えられてて、チクチク弱みを握られるのですが・・・。

漬け込むなっ!という。


なので、今、親離れ・子離れの時期なのだと思います。

これって、「生後何ヶ月の何月何日」とは決まっていないような気がします。
「その時」を逃すと、コトリさんには「ずっと子供のままで、家中くまなく縄張りなので、一緒にいるニンゲンが、獲物にしかならない、ニンゲンは境界線を侵す侵入者であり排除対象でしかない」という、自然界の掟に逆らえない状態になるので、今、ほとんど、「毎日戦い」という日々です。

コトリさんがカーテンを引きちぎって、トイレットペーパーをお陀仏にしても、「まあ、そんなもんだろうよ」と思うし、あーだこーだと楽しそうにして回っても放って置けるのですが、その前に「二匹で、境界線を侵さず、フェアに行こうぜ」ができなければ、自然界はバランスを崩しましょう・・・。

どちらが上というのは無く、強い者が残るのが自然界の普通なので、私も負けてらんないっす。

(下手すると、半年位になった子猫のほうが強くて、親がやられる)


親も子どももきっつい時期ってあったな~って、思い出してます。


この辺りの人間界は、50過ぎても「おかあさ~ん・・・」となっている人も居ますし(甘えられないと、私に当たるので迷惑)、70過ぎて「不安だ、怖いっ」を当たり散らして付き纏う子どもみたいな人も居まして、つい私が「はいってくんじゃあねえよっ」と思ってしまうという感じの人も、ほんのちょっとだけ居ます。

こうなると、ニンゲンも「独りで立つ」という事が、どれだけ難しいものか、それが、どれだけ大切なことか・・・と、思います。

ニンゲンは、紛れもなく動物なんですね。
私も、メソメソしてないで自分の飯ぐらい何とかせねばなっ。というこれまででして疲れてしまって、今、ちょこっと人間界から一線を引いて休んでおります。


コトリさん、頑張ってSOS出せた、凄い生命力の持ち主で、圧倒されます。

「親分」という名前にすれば良かった・・・。


やっぱり、一番上の画像のように、百獣の王の仲間には勝てません。元々。


しかし、SOSを出した時のコトリさんの後のコトリさんは、ぜったい猫かぶってたんです・・・

人の弱みに付け込んで~と、ちらっと思います。


おお、そういえば、前の猫さんも子供の時は「あのあのあのあのっ」って膝の上に乗り続けたり、体を登ってきたりしましたが、いつの間にか、家の中は「あたしのテリトリーですからねっ。」となりましたが、子どもから大人になってから、5年ぐらいは「あんたウザい」と言われてました。

たしかに私はウザい。

その間、「何と自立心の強い猫さんなのだろうか?」と思ってましたが、元来、猫族というのは、気まぐれなのではなく「慈悲でニンゲンと住んでやってんのっ。」というものなのかもしれないなあ・・・と、また、前の猫さんに「思い出しなさいよっ。ったく、バカなの?」と、本気で心配そうな顔をされている顔がちらつきます。

はい、バカです。


ていうか、がんばれコトリよ。

(前の猫さんは、子猫には容赦しないで本気で威嚇してました。あれが、猫族の掟なのだなあ・・・と、感心したものです。どんなに小さな猫さんでも、テリトリーを侵すと爪は出さないし戦いもしないのですが威嚇するんです。「それ以上入ってきたら、攻撃します」という警告。偉い。)

私も、自分の境界線を超えてきた同族には「威嚇」というものをしても良いのかな。

人生が修行なら、私は現世で解脱は無理なタイプです。





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