*電子うさぎの記憶* v.2.0

*電子うさぎの記憶* ヴァージョン2です。 C-PTSDと共に生きています。

本 「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」ルドルフ・シュタイナー/1904

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眠りながら書いたので、自分でもよく分かっていません。
(最初に謝ってしまえ)


なんか、こんなのばかり読んでいますが、同時に 映画「セブン・イヤース・イン・チベット」の原作が有ると知って、読み始めていたりします。

原作は原作で非常に面白くて、不屈の精神で逃亡を図る登山家の諦めなさが痛快で、不謹慎ながらスポーツを見ている感覚になってしまっています。

登山家の脱走チャレンジの不屈の精神が痛快です。

なぜ、脱走の話はこんなにも楽しいのでしょうか?

登山家の本を、登山家が訳すと臨場感があって良いものなのだなあと思いました。とても読みやすくて、その道の人の感覚が冴え渡っているとドイツ語の本なのに、本当は日本語で書いたんじゃないのか?と訝しく感じるほどです。


なぜ、セブン・イヤース・イン・チベットと超感覚的世界のルドルフ・シュタイナーに飛んだかと言いますと、同じドイツの人でも、実際に動く人と頭の中を自由に移動してしまう人がいて、「どちらも魅力的じゃあないですか」と思ったからです。


「いかにして・・・」が、1904年に初出だったとは・・・。

確かに、自然哲学なのだろうと思いました。自然科学哲学?

「チベットの死者の書」と雰囲気が似ているので、洋の東西は関係無さそうな気もしてきました。


不思議に思っていたのですが、西暦2000年前後の10年ずつも非常に面白い時代だったのですが、同じように世紀末とその後の10年間がギュッと詰まった時期があって、それが、1900年の前後10年ずつでした。


フロイトの論文の「精神分析論」も1904年に出されたと記憶しています。

その、ガッチガチのヘンケンジジイのカウンター(真逆)としてのパンチが炸裂していて、1900年前後の枝葉がここまで茂っているとは驚きでした。

もはや、フロイト=絶対的な精神分析の基礎というのは、ツッコミどころ満載なのですが、シュタイナー先生のヒトを外から見るか内側から見るかの違いを、ここまで綺麗に見せていて、かなり度胸が有った人なのだと思います。

1900年のちょっと前から、西洋は科学至上主義・人間至上主義(ヒューマニズム)・唯物主義に傾いていった時代でしたから、時代に逆行するという意味でも、シュタイナーさんは骨太さんだと思いました。
(内容は、普通の東洋思想なんですけど・・・)

そのころ、フロイトの周りに居た人が次々に不審な亡くなり方をしていたり、人生を潰されたり、関係を切る人も多くいましたが、それも「さもありなん」と思いましたし、ヘンケンとサベツの大御所に対して真っ向から「ソレはないんじゃないか?」という風土がドイツには有ったのかなあ?と思います。

この時代の激論がとんでもない大きな思想バトルになっていて、様々に面白く感じています。


シュタイナーさんの論文は、精神分裂病(若年性痴呆症・統合失調症)やヒステリーと切って捨てたフロイトに対し、「それらは病気じゃないってのっ!」という玉を投げたのだと思います。

剛速球です。

私はゲーテという名前だけは知っていて、明治から昭和にかけて「エーテル」という言葉を多用していた人が多かったように感じていましたが、出所が分からなくて「エーテルってなんだろう?」とずっと考えていましたが、シュタイナー先生の「超感覚的世界での感覚の認識」ということであれば、ようやく、点と点が繋がったように感じます。

ユングの「集合的無意識」と、「超感覚世界での共通認識(エーテル)」?と、「チベット死者の書」の「魂が体から抜ける」という話と、立花隆氏の「臨死体験」で聞き取った「肉体から離れた時の感覚の話」と、ワイス先生の「前世療法」での「催眠状態で感じた感覚」と、日本の「空気」(山本七平氏)が、言葉は違いますが同じことを言っているようにしか思えません。

宗教的だったり、学問的だったり、感覚として文化・習慣・風習と根強い伝統の日本の「空気」という感覚は、同じではなかろうか?と思っています。


見えないものを見えるようにするのが科学なのですが、量子力学・量子物理学の本を読んでいたり、宇宙とは何か?を探求し続けている人は、宇宙規模で「見えないものを可視化する」という事に取り憑かれるほど、その生涯を「見えないブラックホールを探して可視化にこぎつけた人」が沢山居るのは、単なる偶然では片付けられないほど共通しています。


算数も、見えないものを見えるようにして、それを方程式というもので表そうとしているし、化学に於いては、私は目視したことがない元素記号で見えない何かを図式にしたり・・・


錬金術の時代以前からあった宗教や神話やおとぎ話の共通している部分は、今の日本でもしっかりと「空気」という名前で存在していて、あまりにも自然に「有るのに見えないが、見えないが有り、ヒトは、それに逆らうことがどうしても出来ない」という本当のことを知っているヒトたちが「うん、それは普通だよ。でも時にはキツイよね」と言い切ってしまう事自体、悪い意味でのオカルティズムやスピリチュアリティとは全く違う「アタリマエのこと」として定着している日本(東洋)を目指す人が居るのも、頷けます。


唯物主義と物質だけではない世界に割れてしまった1900年前後の大動乱も、ようやく「見えないけど有る」と認識せざるを得ない状態に今、あるのではなかろうか?と、思うのであります。



日本には、あまりにも普通に存在している「空気」の正体は、言語(言葉)や方程式では乗り越えられない壁として立ち塞がったまま、「ソレは見えないが有る。それで良いのではないか?」という、至極単純な結論も有り得るのではないか。

そう思うようになりました。


きっと、1960年代のアメリカの混乱の時に、「ソレ」を見ようとした人たちがヒッピーやフラワーチルドレンと呼ばれ、ニューエイジという概念さえも作り上げ、その後遅れて日本が、あっという間にその現象を飲み込んで、また、概念を咀嚼してどんな形であれ、輸出に耐える形にしてしまうのだろうなと思っています。

それが、どんな形になるのか分かりませんが、空気を同調圧力なだけではないようにしてしまう力を常に発揮する秘めた力を持つ人達一人ひとりが、自分にピッタリの服(概念)に仕立て上げる方法を一言で言い表そうとしているような気がします。



ソレが、あまりにも普通で当たり前だと、まさかの「平凡」(実は奇跡という非凡)の中に組み込むのだろうと思います。


何度も書いていますが、シュタイナー先生も、日本に来ればいいのに・・・。


白と黒の陰陽模様(名前は違うかも知れないです)は、コマのように回すと、様々な色が見えます。

なぜ、「無い色が見えるのか?」は、「火星の人類学者」を書いたオリヴァー・サックス先生が「色はどこで見えているのか?しかし、記憶野がほぼ特定できないのだが、それらの記憶から呼び出した色は、有っても無いし、無くても有るんだよな~」という本を読むと、「ソレは空気だからね。空気を読めば色が変わるよ。」とサラッと言ってのける東洋の人たちが普通に生活している。奇跡という名の島で。

窒息しそうな時ほど、自由で楽観的な楽天主義者になる時、「生命とは何か?」と聞かれたら「ん~、空気?魂って空気みたいにいつも有るから考えたこともなかった」(=当たり前過ぎて、考えるまでも無いよ)という、悟りの境地の先に行っている人たち(カルマだかが無しなので、来世に苦しまなくても解脱できる人たち。ゼロという概念から脱出できる人)が、「自分たちが奇跡の歴史を刻々と刻んでいる」という事を知ったら驚くだろうな~。


という訳で、シュタイナー先生も日本に来れば良いのではなかろうか?と思いながら読んだ一冊でした。

私は、「日本とは何か?」と「生命の原動力になっている魂というエネルギーはどうなってるのか?」を混同していました。


次は、「魂という無限のエネルギーの元と、それを作り出すシステムと、なぜそれが存在するようになったのか?」に進もうかな~と思います。

宇宙の謎か、宇宙の外側の謎ですが、延々とDNAに刻まれている「何らかの記録」を辿れば、どこかで腑に落ちると思います。

(私の生命としてのDNAプログラムは、DNAの誕生の時から途切れたことがなさそうです。数十億年分の記憶の蓄積が、なぜ、細胞一つの中に格納できるのか。)

解けない謎が有るという事は、パンドラの箱の「箱自体、どういう仕組みになってて誰が作って、そこに全てを格納したのは、なんでだ?バラバラでもいいでしょ?駄目?」という初歩的な好奇心から又スタートできる気がします。





おまけ--

カルトの魂の救済は、「大量のお金を取る時点で駄目・魂はお金で買えないから駄目」です。

(天国と地獄が有るとして・・・。
地獄の門はお金で開きそうなものだけれど、天国の門ってお金で開くのだろうか?自分の中の平安は、お金で買うものなのかしら。買えるなら楽だけど。破格の10円とかで開けてくれるなら、買うねえ。 10円入れるとパカッと開く天国の門。天国って、そういう身近な場所にあるんじゃないかしら?へへっ)

オウム真理教も、きっと、チベットの死者の書辺りを利用したんだろうと思います。ヨガや瞑想、そして、「あなたは特別」という人の弱みに付け込むのは、魂云々の前に「ニンゲン臭すぎ」です。

カルト・オウム真理教から逃げた人は、まともだったのでしょう。




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