*電子うさぎの記憶* v.2.0

*電子うさぎの記憶* ヴァージョン2です。 C-PTSDと共に生きています。

・自衛境界線の破壊と構築/C-PTSD

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私の思い込みは時としてトンデモナイものであります。


フツウとは何か?という事が全く分からなかったので、フツウの人に聞くのですが、普通の人にとってフツウのことは当たり前なので「え、聞かれても分からない・・・」と困惑させてしまいました。

普通の人にとって、それほど身に付いている事であっても、私にとっては「大発見っ」という事もあります。


なぜ、普通の人は危機回避があんなに上手なのだろうか?

憧れてました。


どうやら「自分を守る為の境界線」というものを、普通の人は小さな時から大切にされていて、言葉や理屈以前に身に着けてしまうようですので、「え、聞かれても言葉に出来ないよ」という答えは、「聞くなよ、そんな事」という意味ではなくて、本当に「言語以前の感覚として身につけたものであるから、言葉にできない」という正直な答えだったことに対して感心しきりですし、正直な人が非常に多かったのだと分かりました。

ご迷惑をおかけしてきました・・・。

で、ようやく私も「自分を守る為の境界線が元々構築されていなかった。もしくは、作っても作っても破壊され続けてきた。そのため、自分の境界線が消失している状態で生きてきた。」という事が分かりました。

破壊したのは、言うまでもなく実母ですが、もう彼女の問題ではなく私の問題ですので、この際加害者に対しての云々は無視します。


長期に及ぶ精神的虐待及び暴力(性的な虐待)の一番の後遺症の自分で感じている感覚は、「自分を守れなかった」という罪悪感でした。(今もそうです)

しかし、どう考えても自分には落ち度がありません。落度が無かったのを確認するためにカウンセリングで洗いざらい過去を洗っているのですが、どうも、私には今の所落ち度が無いのです。


精神的な虐待/暴力だけではなく、性的な暴力/虐待は身体的な暴力の中でも「自分を守れなかった」という感覚は拭い去れなくて大変でした。


落ち度云々は置いておいて、「そもそも自衛の為の境界線が各々に存在している事、更には自分にも存在している事さえ知らなかった」という悲劇的な状態になってました。

私は加害者に対して「近づきたくない」という感覚がありまして、ヒトに対して距離を大幅に取る癖があります。

人嫌いではないのですが、自分を自衛するという概念が無かったので「そもそも、ヒトと距離を取り、すぐに逃げられるようにしておく」という、相手にとっては、はなはだ迷惑な距離感でしょうから相当数のヒトを困らせていたし、いると思います。

これは、きっと一生の問題になると思います。


同時に、私の自衛境界線が有るの?有っても良いの?って閃いた時は「ああ・・・、全てのトラブルは、私のこの自覚の無さが原因だったんだ・・・」と気が付いた瞬間でもありました。

自分を護る境界線の構築は、その境界線が破壊されて喪失していると気がついた時にようやく構築できるものだと思い知りました。



生まれてから随分かかりましたが、これから先「やらかしてしまった原因は私にある」と分かる場合が増えそうで、ホッとしています。

これで、「相手が嫌がっているのは、相手の境界線を侵している可能性がある。自分が嫌だなあと思った時に、一歩引くのが遅れた失態を考慮する」と、トラブルが減っていくのではなかろうか?と楽観的に思っています。


妙な所で「複合型-心的外傷後ストレス症状=C-PTSD」の後遺症状が現れるものだなあ・・・と、自分の事ながら辟易していますが、分からないよりはマシではなかろうか?と思いました。


「無知は罪」というのは、本当だなあと思った次第です。



どちらにしても、人間界という境界線の向こうには姿の無いネットにしか出没しません。

「自然界からは出ない」が、自他を傷つけない最善の方法だろうと思います。





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