*電子うさぎの記憶* v.2.0

C-PTSDなんのその。 本当の事を知りたいだけで食ってます。全ては終わらないパズル。反フロイト・反スピ。

本 「現実脱出論」坂口恭平/2014/講談社現代新書

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新書だけは手を出すまいと思っていたのですが、たまに「この人、時々目に留まる人なんだけど・・・。なんだろな?」と思って、ついでに一冊。

終活をしているのですが、驚いたことに、図書券が出てきまして・・・

しかも、その紙の図書券が使えるということで^^;


坂口さんは、言葉で生きている方ではないのだなあと思いました。

しかし、言葉では表現できない部分を、よくここまで頑張ったなあと感心したり、驚いたり、感覚が分かるだけに時には泣いたりと、まあ忙しい本です。

いつものことですが、ネタバレをしないように、これを読了前に書いています。


最初に思ったことは・・・

「ん~、コンクリートの匂いがする。ひょっとして、坂口さんは自然界で生きれば楽だろうな。もう、その場にたどり着いているだろうけれど・・・。この感覚は、コンクリートとアスファルトと人が多い街ではオーバーフロー(感覚が溢れ出して)してしまうだろうなあ。森田療法という金のかかる方法ではなくて、土と木と水のある場所でなければ疲れ切ってしまうねえ・・・。で、食べるものは自分で作ると楽しいって思うだろうかどうだろうか?」

って、思いました。


人工の街は全天候型なのですが、自然界の里は、晴れたら働く、雨は休みです。

雨でもやらなければならない時もあるのですが、天気を見て(空と空気とここでは海を見て)天気予報をします。
だから、「今日の間にやっちゃおうか」で、無理をするにしても「明日、雨で休めるからね」が先に来ています。


都市部からこういう村に来て、「都市部のイベントを開催!」ってやってる人がいるんですけれど、けっこう勘違いしていて、続いていません。
(役所から補助が出てるから、名目上の会社は潰れないんだけれども・・・)

でも、そういう人達も、最初は江古田っぽい・・・とか、森ビルに入りたかったの?とか、ハチ公周辺が憧れ?とかの雰囲気が全部失敗してから、なんだか自然界の中で生き生きとし始めています。

そうですねえ・・・5年ぐらいかかってます。

こっちはヒヤヒヤですが、何も言えませんし、じっと見ているなんて失礼なこともできませんので、時々挨拶する程度で距離を置いていましたが、段々自然になっていくんです。

ホッとしています。

そういう人達でさえそうなのです。

なんというか、頑張ったら頑張っただけ、自然界が「よくやった!」という感じになります。
来年、花が咲いたり、次の年は自分がやったことが良い意味で跳ね返ってくるので、人に肯定して貰わなくても良いのではなかろうか?って思います。

テキトーに都市部感覚でやると、「はっはっは、除草剤撒いたのか?ではもっと強くなってやる!葉っぱが丈夫だぞ~。根っこは以前より強くなってるぞ~」と、逆襲されるので、真剣にならざるを得ないのですが、段々楽しく真剣になっていくので、無理がないのだと思います。
しかも、自然相手だと、人間一人で何かできるなんて無いので、必ず「ちょっと手を貸して」と、沢山の手が必要になって、それが当たり前なので、人同士の諍いが嘘みたいに消えていくというのも自然に身につくのでしょうね。



坂口さんは、生まれた所はきっと沢山の人が住んでいる場所で、コンコリートとアスファルトで、縦と横の線でできた場所で育ったのかも知れませんが、自然界の縦と横は、完璧な縦と横なんです。

定規で引いた人の線より、ずっと綺麗で、これ以上どういじればいいの?という線ばかりで、完成されているので楽なのです。

私は、定規で線を引いても、フリーハンドみたいなヨレヨレになってしまうので「これはどうしたものか・・・」と、未だに線一本引くのに、定規の使い方が下手です。

でも、なんとかなるものです。


ムスカリの芽が出てきたんですが、どれもこれも大きさは違うし、出てくるタイミングも違うんです。

それでいいじゃないの。という場所が自然界なので、坂口さんは「それでいいじゃないの。自分の好きなように、好きなときに、好きなことをすれば。で、あなたには好きなことや止められないことってある?」って、多分聞けるようになったんじゃないかと思います。

自己肯定感というのも、フロイトの劣等感が作り出した嘘なのですが、そんなもんは要らなくて「自分が好きなことをやっていると、楽しいので、周りもほっこりする」→「自己肯定感?とやらが低い人が周りに来ても、その人までほっこりしてしまう」→なんか最近ちょっと違う・・・。

もう大きな変化が起こっていて、フロイトジジイなんて6フィート下でもがいても無駄ですという状態になっているのではなかろうか?と思っています。

(最近、フロイトジジイをこき下ろすのが楽しくてたまらない・・・TT;)


現実脱出論という名前もいいなあと思いました。現実逃避はとても疲れるし、無理しないとならないことも多いのですが、現実を違う角度から見るという意味であれば、その場にいて、心地良い状態を自分で作り出してしまうことなんて一瞬でできてしまうので、楽なんです。

ニンゲン、楽になるようにしか脳は機能しない・・・という、なんか、そういう癖があるようです。

なので、無理をしないで、立つ場所を2ミリ変えて、ちょっとだけ屈むと、それで充分「現実から脱出したいつもとは違う風景の中に飛べる」ということなのではなかろうか?と思います。


私は、コンクリートもアスファルトも嫌いではありません。

しかし、そういう場所に住んでいても「玉川上水脇」とか、水とか緑が比較的多い場所で生息していたので、自然にそういう場所を選んでいたのではないだろうか?と思います。

でも、坂口さんは、生まれた場所を選べなかったから、ちょっと大変だっただろうなって思います。


今、好きなことを好きなように、好きな状態まで考えてやって・・・。それでいいんじゃないかなあ。よかったなあって思います。


ただ、一つ気になったことがあります。

「坂口さんが、日本に於いて女性だったら・・・。こうは行かないのではないか?」ということです。


男性が優遇されているとは、嘘でも思えないのですが、それでも「こうする!」がまかり通りやすいことは確かです。

開国以来、なんかそれだけ目立ってる・・・。

それまで男女の区別は「凸凹がうまりゃ~いいんじゃ~ね~か?」だったのですが、西洋文明は「男性だけが唯一の人間である」が常識だった頃に開国したものだから、まあ、諍いが変なものに変化しました。


坂口さんは、多分、男も女もみんな「好きなことが、1つや2つあると思う。嫌いではないものでもいいから、教えてほしい」と言う人になったかも。


精神科医が坂口さんに「言葉の詐欺師・魔術師」(安部公房が、精神科医をそう言っていた)みたいに、近づいているけれど、アイツラバカだし、自分で考えられないから、「坂口さんがすごい!」と言いながら、「論文ネタか本のネタに利用しよう」としているだろうなと思っています。

人のいい人は、精神科医なんていう潰しの効かない仕事を選んでませんって。

聞いた言葉を盗むことでしか生きていけない精神科医が、坂口さんを追い詰めた部分が少しでもあるのなら、謝りな。

人でありたいなら。




いやしかし、楽しんでいる人の本は楽しいです。

図書券という古い紙が役に立ちました。

親父、ありがとう。


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