*電子うさぎの記憶* v.2.0

C-PTSDなんのその。 本当の事を知りたいだけで食ってます。全ては終わらないパズル。反フロイト・反スピ。

「日本語を失った」は、一部の日本語のみだった話

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「日本語を失ってしまった」

でも、何かが変でした。


私は不思議と日本語話せます。

しかし、常に不安がありました。

「ちゃんとした日本語を話せているのだろうか?」「書けているのだろうか?」という不安です。

日本語を失ったはずなのに、一応話せているけれど、日本語が母国語というにはほど遠い感覚でした。

自分が話している言葉によって、行動や考え方まで変わってしまうことに、強い不安を抱いていました。


なぜ、言語を切り替える必要があったのか?

どのタイミングで思考と言語を切り替えているのか?

なぜ、国籍というものがあるのかが分からなくなるほど、クニや国籍に愛着がないのか?

(よく言われている、自分が劣っている民族であるというマインドコントロールによるものではなさそうでした。戦後自虐史観とも言われていますが、そうではありません。そういう事を知る以前に「国籍・クニ・民族・風習・文化」が私にとっては、異文化でしかなかっただけです。)


多言語を習得する必要があるとしても、それが英語である必要は無かったと、今でも思います。

で、なぜ、たまたま、習得したのが英語だったのか。

実母から「全存在を否定する日本語」のシャワーを浴びている幼少期に、英語の教材が転がっていた。

ただ、これだけの理由です。

そこに、タイ語やベトナム語の教材が転がっていたら、その言語を習得していたであろうと思います。


どうやって、習得したのか。

11歳の時、普段は風邪を引かないのに風邪を引きました。

実母の監視の元(看護ではなく、監視)、その教材の音声に合わせて発声していたら、言語を習得してしまいました。

単純なことでした。

少し前まで、グローバリゼーションや国際化という言葉を目にしたり耳にしたことがありました。

その時になぜか、誰もが「英語の習得は何歳ごろがベストか?」という話をするのです。
多分ですが、日本に住んでいて、私のように「多言語が必要不可欠な状態」でない人が日本語以外の言語を数週間で習得するのは、少し難しいように感じています。

必要に迫られ、生き抜くために最初にしなければならないことは、「意思表示」で、表情を身に着けていたとしたら、次には口が利ける場合は発音です。赤ちゃんと同じです。

赤ちゃんは、生まれて直ぐに「意思表示」をしなければ生き抜けないという事を知っているとしか思えません。

彼らは、私もそうでしたが、誰もが最初からサバイバーであったと言えるのではないでしょうか?

その時に、日本語だけで暮らしていける事を学習したら、その他の言語は「必要に迫られ、生き延びなければならない状態」が再び巡ってきた時に、一気に習得するものなのだと思います。

日本の赤ちゃんも素晴らしく、あっという間に、言語と表現を覚えていきます。見事です。


もし、言語を習得したいと思ったら、今はちょっと雰囲気的に無理かもしれませんが、「生き抜かなければならない場所」に行ってしまうという強硬手段を取ると、ひと月かからずに「生きて行く為の言語」は習得できます。

日本語ほど難しい言語はないと思っていますので、日本語を話せる人なら、他言語を身に着け易いと思います。

(それは、私が他言語を習得しているからではなく、私の日本語がたどたどしいからこそ、思うことなのだと思います)


さて、転がっていた英語の教材が記憶にありますので、探してみました。

学研の「たのしいこども英語」という名前でした。

カセットテープと、本です。



カセットテープで覚えた記録(記憶)が確かなら、私の英語は「アメリカ合衆国のカリフォルニア訛り」です。

全ての会話は、言語と同時にアメリカ合衆国の文化も入っているはずです。

その場所に行った時に「カルチャーショックが皆無」「米国の西海岸訛りで違和感ゼロ」という状態。3日目には「日本語を忘れそうなので、急いで日本語で日記を書き始めた。しかし、日がたつにつれ、ひらがな程度しか書けなくなっていった」ので、その文化と言語に相当馴染んだ考え方を既にしていた可能性が高いです。



ネットは便利で、記憶を頼りに探したらありました。

早速届いたその教材を開いて、聞いた瞬間に「日本語は失っていなかった。カルチャーショックがゼロだったのは、コレが元だった。米国西海岸訛りの英語で違和感ゼロは嘘ではなかった」と思いました。


その教材は、日本語がほとんど書いていないと記憶していたのですが、やはり、ほとんど日本語が書かれていませんでした。

しかし、カセットテープから聞こえてくる日本語が非常に優しかったのです。

今聞いても、優しい愛情を感じます。

コレには驚きました。

子供に対して、優しい言葉を掛け続けるカセットテープの音声の日本語の部分だけを記録から削除してしまっていた・・・という、愕然とする事実に驚きましたが。

日本語が録音されているという記憶はそれまで消えており、再生した瞬間に全て思い出しました。


カセットテープの中の「日本語でのナビゲーターの言葉が、子供にとって非常に穏やかで、褒めてくれて、温かい言葉で、日本語の発音も言葉も正確」なので、私の日本語の元になっているのは、これらの「人に優しい日本語」だった可能性がとても高いです。



私は、これを教材だと思わずに、自分の身に着けたのだと思います。

そして、精神的・性的虐待をした実母の「子供を完全に否定する日本語」の方を削除して、優しい日本語と、感情や感覚を英語に置き換えたのだと分かりました。

英語を習得した後は、母親がいくら私を否定しても感情をかき乱されなかったのは、「心を英語(他言語での感情)で武装したから」でした。

そのため、日本語で私を否定しても、私がそれを弾いてしまうことができるようになったのでした。

そうやって、芽生え始めた自尊心を守り、加虐者に対する心的な防壁を張ったのでした。



驚いたことに、その教材が届いて音を聞いた夜、いつものように英語の夢を見たのですが、その中に「humiliated and embarrassed」という言葉があったのです。

日本語に直訳するのとは全く違う感覚です。


日本語が身についていたという事が分かり、英語での感情表現が正確に再現されました。

私は、その日から、自分の日本語を疑う事もほとんど無くなり、日本語での感情表現も間違っても表現することができるようになり、英語も以前に増して戻ってきました。


私は、日本語も英語も失っていなかったのでした。


そんなこんなな後に、コロナ騒動で、どうしても他の言語での情報収集が必要な状態になりました。

日本の主要メディアにはアクセスしていませんでしたし、どうやら、偏っている報道という印象でしたので、専門用語を一気に覚えながら、できる限り広範囲の情報を得たいと思った時、11歳から使っている他言語が再び自分の身を助けることになるとは思いもよりませんでした。

なぜか、ドイツ語・イタリア語は分かります。(単語はその都度覚えます)

英語の元になった言語が似ていると、分かるものなのでしょうか?


私の友人は、英語・ブルガリア語・ギリシア語・ウクライナ語が過不足なく、普通に話せます。

ロシア語圏と、英語圏の言語なのでしょうか。



コロナ騒動といえば・・・。

予防接種は、日本国憲法に則り「個人の自由は、国の決定に優先する」という条項を利用します。

「何人も、個人から人権と幸福追求権と、自由は尊重され、それを剥奪してはならない」というふうに、まとめて覚えています。
(ホントは、まとめちゃダメだけど)

もし、自分の国で「国に従え」というような言動をした人がいたら、その意味は「この国に住んで、この国の国籍を持っている人に従えという事である」という憲法解釈になります。

「国(公の人)は日本国籍を有する個人に命令してはならない、国はそれを侵してはならない」のです。そして、公人であっても「個人」ですから、その人を最大限尊重しなければ、ならないのです。

努力は「命令」ではなく、あくまでも「個人ができ得る範囲で、公共の福祉に反しない限り」という条件が付いています。

公共の福祉というのは、一般に言われている「人に迷惑をかけない」というのではなく、憲法ですから、解釈としては「憲法に反しない限り」という意味になります。

「努力」は、「努力をして戴けませんでしょうか?個人のでき得る範囲で」という意味です。

努力を強制した時点で、それは、憲法違反になります。なぜなら、「何人も隷属させられることなく」という部分があるからです。隷属というのは「誰かに命令されたら、人権・自由・あらゆる権利の剥奪と、反することは許されず従わなけばならない」というものだと解釈しています。


そして、報道の自由というのは、「報道することは、その報道機関が公共の福祉に反しない限り、自由」というだけの意味であって、報道しない自由は憲法に書かれておりません。

ですから、日本の報道機関が必要な情報を報道しないのは、憲法違反となります。

もし、憲法違反をしているとしたら(私は、全ての報道を見ていません)、その報道機関は「日本国籍ではない」という判断をさせて戴いております。


そして、公の人は、残念ながら「日本国籍を有する個人全てに対しての奉仕者であり、その一部の奉仕者であってはならない」という解釈がなされています。(憲法に明記されています)

その、公の人が「お国の決断に従います」と言う場合、戦前でしたら「国の上層部の人たちに従うのが、わたくしの生き方であります」という解釈になりますが、現行法での解釈は「日本国籍を有する個人に従います」という解釈になります。


そして、忘れてはならないのは「良心の自由」です。

暴力的な「あなたの為を思って良かれと思い」は、違いますが、自らよく考えて、自らの決断は自らを助ける、もしくは何かを助ける為の心は自由です。

しかし、「攻撃」は、公共の福祉に反します。(民法・刑法・薬機法・公正取引法・商法・・・・・かいきれね~ほどの物に抵触します。)


日本国憲法は、とても短いですし、日本国籍を有している間は自分を助ける為に使える、非常に便利な道具です。

ま、なんというか・・・。

義務は「納税」と書かれているのが「異議あり」なんですけれども・・・・。


そして、何かを決める場合「国民の総意を聞かなければならない」という項目もありますので、公の人は「個人を無視してはならない」という大原則に則って、戦後日本の今の時代を生きて戴けたら、ちょっとは褒めて差し上げましょうか。


そして、ご商売、企業の方々。

いきなり、勝手に決めた「感染防止法」のせいで、もし苦しんでおられたら、「その法律を変更するよう公を動かすのは、個人の自由」です。

その前に「法に則って、仕事をする自由」は、確固たる保障がされています。

個人の自由の尊重は、感染防止法よりも強いものです。(日本国憲法の下に、その他の法があります。って書いてあります。まんまです)


法律は、堅苦しいけれど、憲法を利用して、自由にしていてください。

コロナ騒動を感情的に処理できなくなれば「公(国)が、それを保障しなければならない」のは、裁判無用です。


国家権力は、個人の権利の下に位置しています。

ピラミッドが逆になったのは、1945年です。

社会科で教えてくれなかったのですが、日本は、逆さピラミッドなんです。

逆三角形です。

1945年に、公が一番下になり申した。


ふる~い憲法ですが、今、これしかないですわ。


日本で、「ロックダウンは、事実上、憲法違反」となります。

そして、「発令」という言葉は「命令を発する」という意味ですので、報道は、これを使用することは禁じられています。


日本語を取り戻した感覚で日本国憲法を読んでみると、今、ちょっと役立つ文章が載っていて便利なので、「身を守るために使う道具としての法律」を最大限度に利用しようと思っています。



今は、戦時中ではなく、もう、戦後です。


(なんか、このFC2は、米国の法律が適応されてるみたいですが、それも、どこだっけ。ネバダ州?。一番自由っぽい州ですが、一度、州法を読んでみないと・・・)


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