*電子うさぎの記憶* v.2.0

迷惑なサイコパス炙り出し・フロイトの手の内暴露・偽スピ系/偽精神科医/偽カウンセラー潰し。人を攻撃する目的皆無

・ストロベリーナイト

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映画「いま、会いにゆきます」/2004 を見てから、女優さんが消えそうなほど透明で美しいので、その女優さんの出ている映画は見たいなあと思っていたら、テレビドラマがあって、後から一気に見たのですが、その時の題名が「ストロベリーナイト」でした。

出演者さんたちが秀逸で、ストーリーよりも、そちらに目が行ってしまいます。
武田さんが「金八先生にしか見えない」というのは、もう諦めています。


テレビシリーズ編の方の2話目で、クニオク先生が面白いセリフを言っていました。

「誰が飲むか分からない、不特定多数の人が飲む薬の中に毒物を入れた場合、テロ。テロです。」


こういう、「何かの設定で、ふと作ったセリフ」って、時々「ああ、このことか」というぐらい、ドラマ内に練りこんであるのがテレビドラマなので、「ちゃんと予告してるじゃないのさ」と思います。


今の状況を、ドラマ内のクニオク先生(監察医)が判断すると「テロ」です。

なるほど・・・。

面白くなってきましたよ。

どこまで情報公開をし続けていたのかな?と。
フィクションの中に情報を練り込むというのも、テレビメディアの仕事ですので、こういった「点」を拾っていって繋ぐと、時々絵が描けます。

2010年当時でしたら、スマホはまだほとんど普及していない、ネットもそこまで一般化されていない状態でしたので、テレビ番組の視聴率が良ければ良いほど、情報を練り込む事に意味があった時代です。

2010年は、オウムの事件から15年後です。テロというものが風化しないようにする為にも必要な設定だったのかもしれませんが、2010年という年は不思議な年でして、「様々な動物がインフルエンザにかかった年」でもありました。

動物の感染拡大の報道にしては執拗にして大げさでした。

そういった感染拡大の情報に慣れさせるには、何度も何度も、同じような「伝染する物」を執拗に大げさに流し続けると、その情報が「ふつう」になりますので、嘘も100回言えば、伝言ゲームの最後の人にとっては「本当のこと」になります。

今流れているニュースにもほとんど意味が無くて、次にやることに慣れさせている状態を作り続けているとしたら、次は何を仕掛けられるのかなあ?と思います。

「2020年に起こされた何かを何度も流し続けることで、次に何かを起こしてもそれを受け取る練習をさせられているだけ」だとしたら、付き合ってらんね^^;



ニュースが決定的に変になったのは、2001年からだったと思います。あからさまになりました。
あからさまになると、徐々に「それが普通」になっていき、ニュースもワイドショーも区別がつかなくなりました。

刺激が大きいものだけでは、逆に飽きられそうな気がします。

テレビの番組のセットも安い物でも極彩色にすることで「ヒト」が見えなくなりました。

数分おきに入る訳の分からないCMも、集中させない作戦だとしか思えませんでした。考える時間は奪われるので「受け取るだけで、立ち止まって考えたり面白がったりする事は不要だ」が普通になりました。



1900年過ぎから「映像」というものがフィルムに焼き付けられてそれが「動いているように見える」(活動)という技術を開発してから、映画になり、誰もが見れるテレビ放送になりましたが、どの技術も新しい技術が売れなければ廃棄されます。

テレビも「ネットに移行させるために、潰すのを前提」に作られたメディアなのではないかと思います。

テレビが面白くなくなれば、ネットに移行するのは楽でしょうから。

ネットが面白くなくなるようにすれば、次に何かが用意されているのでしょう。

ずっと昔から、情報は、選択の余地無く誘導されてきています。


私は映画(フィルムの時代から)は好きです。
どんなプロパガンダでも、大金を掛けていればいるほど「何を広げたいのか?」がくっきり浮き出ます。

芸術の領域に行っているフィルムもありますが、ほとんどは大衆向けです。


テレビCM・ネットの広告やCMの効果は、ほぼゼロというデータが出ています。

そのCMを見たから購買意欲が沸くという事はありません。

しかし、広告よりも強いのが「口コミ」です。
これは、魔女狩りの時に利用した手なのですが、「人から人への宣伝効果」は非常に大きいです。
しかし、それも言葉では無い口コミの方が効果的だったからこそ、魔女狩りが横行し続けました。
「あんな風になりたくないから、他人を売る」という見せしめのための処刑が残虐であればあるほど、その情報の波及効果は大きい。

新型コロナ何とかというのも、元々は研究室という温室環境では生き残れたかもしれませんが、それが外に出ると「外の世界の生存競争に勝てない」ので、研究室から外に出た瞬間に捕食されるか、弱毒化されてしまう前に「怖いぞ!」という口コミをすれば、その時だけは強かったかもしれない菌やウイルスは、「何かと共存しなければ生きていけないので、常に変化し続ける。常に宿主を探し続ける」という生存競争の中に放り出されて、落ち着きます。

そんな当たり前のことを考えなくさせる為には、「広告効果のないCMを常に、ストーリの途中で差し込む」「ニュースは音も色も派手なだけで意味が無い」「もう考えない」という癖をつけさせておけば良いだけです。(オペラント条件付け)

テレビ自体にはもう何の情報拡散能力もないので、人の頭の中をいじるマシンにするという前提であれば、「考えない・感じない・疑問を抱かない」という条件付けさせた行動を固定させ続けておくだけのマシンとしては優秀でしょう。

例えば、どんなことがあっても「違和感(よく分からない)」「考えさせられた(何も考えていないから、その後も無い)」「複雑(考えられない)」という言葉だけで全部表現するようになります。

しかも、日本語は音で表現しますが、漢字も「常用漢字を少なくする事」で、漢字を飛ばして読むようになれば「音としての言語」さえ奪うことができます。

むっか~しから日本語は面白くて、「あ~、あれがね、こ~だったら、あれよね」だけで話が通じてしまうほどです。

情報を音読出来ないようにするには、漢字を少なくして固定する(他の漢字が読めなくなる)・カタカナ和製英語に置き換えるなど、ヒトの頭が退化するようにすれば「操りやすくなる」。

人と話す時も、「もともと抽象的で、曖昧な日本語の受け取り方を変えさせれば、既に条件付けされた頭では、誰もが同じような意味にしか取れないようにすることができる」ので、口コミによる情報伝達もショボい物になります。

以前は、誰もが長文が読めないなんてこと、無かったんです。
斜め読みでも、じっくり読んでも「時間が掛かっても読む」という事をしていました。
しかも、日本語はもっと面白くて、頭の中で「音に変換する言語」です。
頭を使う言語が日本語の面白さなのですが、それさえもやらなくさせる事が出来ています。


「あんなことがあったなんてしんじられない」「そうだよね~」「で、あれってどうなった?」「う~ん、複雑すぎてわからないね」「そうだよね、まあ、かんがえさえられることだったけど」の、中身が「空白」です。
情報ゼロ。
言語は、自分で考えたものを音にする事で伝わるのですが、既に言語としての用途も失っています。
それが問題にならないように「思考をするな・考えるな・思うな」という装置がたくさんあります。

私は個人的に「日本語を完全に失ってしまった負い目があるので、日本語という言語を異常に大切にする」癖がついていますが、言語を元々奪われなかった人は「そんな深く考えなくても・・・」と言います。

でも、彼らの言う「考えなくても良いんじゃないの?」の根拠はありません。「考えないように条件付けされているから、ついそう言ってしまう」だけですので、「考えすぎ」と言われても無視します。
人の頭の中で考えることに口出しされたくありませんので・・・。もちろん、考えている人の邪魔をするのも嫌です。



ただし、紙の上に書いたり印刷したりしている情報は、なんやかんや言って根強いです。
文字を何かに書き始めてから、すでに数千年は経っていますが、唯一「完全には廃れていない情報媒体」です。


テレビやネットは誰かが発信していても、「不特定多数が見る」のですが、紙媒体(雑誌・本・新聞)は、「一対一」という感じがします。
なんらかの情報を植え付けるとしたら、「紙」という、個人に対してのピンポイントな情報を載せられるメディアです。

新聞の印刷文字のフォントが大きくなった時がありました。35年ぐらい前でしょうか。
それまでは、新聞は「漢字沢山・文字ぎっしり・ルビもふってある」という、かなり面白い読み物でしたが、フォントが大きくなった瞬間から「中身ゼロ」に変化しました。

ちょっとこの間2021年の半ば頃の新聞を「コップが割れないように包む」という目的で100均で数枚頂いてきたので読んでみたのですが、「主語も述語も、起承転結もなく、何を言っているのか理解できないほどの文章」に変化していて、「これは、だれが読むのだろうか?」と思いました。

それは裁判の記事でしたが、裁判の経緯・事のあらましと概要・訴えと被告原告・途中経過・結果がすべて抜けていました。意味ないです。
しかし、そこにちりばめられている言葉は「夫婦別姓」でしたので、多分「夫婦別姓」というキーワードだけをちりばめればよかったのだと思います。
その時「新聞の役割は、特定の単語を繰り返すことにより、単語に反応する人を増やす」という道具になっているのだなと思いました。

紙媒体は、ネットよりずっと「単語を叩き込むには絶好の道具」です。


例えば「オミクロン」というカタカナなんて覚えにくいですが、何度も何度も繰り返し音で聞いて、その上、紙媒体で「オミクロン」という言葉が一つの面に15~30個あれば、「何度も繰り返して、その単語には反応するための条件が付けられる」。
(条件付け=「ある物事・単語・言語」に対しての行動を固定させる「刺激」を繰り返すこと)

そして、次は「オミクロン」+「感染拡大」とすれば、「何か分からんけど、怖いねえ」程度には反応するように、それ以前に条件づけられた頭には反応回路が形成させられています。

普通に「オミクロンは怖くないよ」と言えば、「オミクロンはなんとなく怖い」という人にとっては、こう聞こえます。
「怖いオミクロンが感染拡大しているが、怖くないよ」→「は?矛盾してるじゃん。怖いオミクロンを怖くないなんて言う人は頭おかしい」→「そういうことを言う人は、頭の中が混乱するから排除しなければならない」→「距離をとるか、スルーするか、植え付けられた攻撃用の言葉を発音・記載する」になります。

頭の中をいじられるのは仕方ないですけど、条件付けられた反応は「自分の意志」じゃないです。

すでに、「全ての自由を奪われている」という状態です。

頭がいい人ほど、オペラント条件付けの成立までの時間が早いです。


今回は、ますます難易度の高いRPGリアル版ですので、そこらのIQテストよりずっと、頭が疲れるようになっています。








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