2022-01-18 (Tue)

2021年8月2日~ 医療従事者の接種数が止まっています。
注釈を読むと「2021年7月30日までで、公表は終了した」とのこと。
https://www.kantei.go.jp/jp/content/vaccination_data5.pdf
この表には注釈があります。
--引用ココから--
注3:医療従事者等への1回目・2回目接種は、令和3年7月30日で集計を終了しているため、8月3日以降のデータについては、8月2日の公表値(=7月30日までの接種回数)。
職域接種及び重複は、各公表日の直前の日曜日までのもの。
--引用ここまで--
その日に「医療従事者の数字が止まった」。
政府は数字を「公表しないことに決めた」。
政府は、2021年8月4日から「「職域接種」という名称に変更して、接種する人の枠を拡大した」。
あらゆる想像や思想、個人の感情を一瞬だけ置いといてその数字だけ見てみてください。
その後に「なぜ、公表しない事をきめたのか?」を、山ほどの資料から読み解いてください。
政府は、命に係わる現場の人たちの数字を「なぜ」公表しないように決めたのか。
厚生労働省、公式FAQ
職域接種に関する Q&A(令和3年9月2日版)
https://www.mhlw.go.jp/content/000796969.pdf
↑「職域接種」について、矛盾を突けば山ほどありますが、一応資料です。
---ここから下は雑文です---
北野武さん(ビート・タケシさん)という方がいます。
今は、朝日テレビに飼われている犬に成り下がりましたけれど、彼のギャグは汚い下品なものも多いのですが、それも、落語の世界が身近にあった人であれば「タブーに挑戦」という姿勢ですので、アッパレだと思っています。
何か問題をわざと起こす=何かに風穴を開ける ということをしてきた人です。
舞台をテレビに移したとしても、あそこまで暴れた人はすごいと思います。(今は、犬ですけど)
彼とその相方さんのギャグで一番面白かったのは「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というものでした。
日本を表現するのに、これ以上の表現はないなあと思っています。
そんなに真面目に言うことじゃないかもしれませんが、物凄い風刺ですし、これはタブー中のタブーだからです。
日本が、訳の分からないペルリ(ペリー)がクロフネにのってやってきた時の怖がりようは、半端じゃありませんでした。
幕府はそれまでずっと、正面から「港を作れ」と言われたことがなかった温室だったからでしょう。
日本に引きこもっていた人達(所謂幕府/お城の外にも出てない引きこもり/籠に入れられて外出なので、ほんまもんの引き籠りです)が、外にも世界があって人がいるということを忘れていた。
城から出たこともない自分たちがトップだと思ってたら、海からやってきた人に「なんじゃそれは?」と一蹴されました。
ペルリさんは「捕鯨やってんの。船を動かすのに油が必要でさ、クジラの油で船を動かしてるのね。で、海運業やってると、水と食料が必要なの。だからさ、寄港させてよ。補給しないとどの海運も成り立たないって知らんの?」って言っただけで、ハチの巣を突いたような騒ぎになったのは、「バクフ」です。
「よそ者」からしたら、バクフなんて権威もへったくれもあったもんじゃないです。
で、日本は何度も追い返そうとした。だって「ガイジン」だし「よそ者」だし、「服も見たことがないし(宣教師の服はいつもボロボロの黒い布をちょっと良くしたようなものにして登城していた)、風貌も違うし、言葉も違う。考え方も違う」=「怖い」から。
バクフはチキンだって悟られたくなかった。
今、ショーグンだとかブシだとかサムライだとかいうのは、「偉そうにしていても、元々落ちぶれた人たち」というものの総称です。
江戸末期には、既に侍階級は庶民より下でした。
(映画で描かれているお侍さんはカッコいいですけれど、あれは、フィクションだからです。フィクション大好き。)
いいですよ、国内だけで偉そうにしているのは。ルート1という国道1号線(東海道)がありますが、そこをの~んびり移動するのを課せられて従っていた人たちが「ブシ・サムライ」です。
そのころの日本で一番「従順で、従う事、支配されることを美化した人たち」です。
彼らの道中が邪魔なので、私たち庶民は「あの人たちが通ると、普通に生活できない」ということで、ルート1(東海道)の脇に、必ず道を通してあります。
脇道は遠回りなようでいて、よっぽど景色が良いですし、今でも「抜け道」として名前が残っています。
無駄に東西が長い静岡という場所に住んでいたのですが、「脇道」を知っていれば生活に困りません。
なししろ、静岡県はず~っとルート1(東海道・国道1号線)が通っていますので、普通はそこを使います。東名高速道路(第二東名は、脇にずれました)も、ルート1に沿っていて、新幹線まで通ってます。
ルート1は「混雑するのが前提」なので、混雑時は、ほぼ使わない。
休日は移動に使う人が多くなりますので、そこを避ける。
庶民にとって、偉そうにのんびり歩いていく人たちなんて邪魔でしかなかったんです。でも、お金は落としていきますから、言い値で買わせるという悪どい商売も普通でした。今は、そんなこと言ってられませんし、参勤交代なんて終わってますが。
ブシやサムライなんて、邪魔でしかなかったのです。庄屋もほとんどが武家からの「天下り」ですので、うざい。
そんな中で「ペルリが来た!」と喜んだのは、私たち庶民です。大きな船で煙もくもく、カッコいいですよ。
外洋を移動してくる海運業は、体力も悪知恵もありますし、船内という狭い場所での海運独自のルールもあります。それが必要が無かった日本は知らなかったみたいです。
海の道を使う時には、やはりルートがありますので、海のルールがあります。
色々なものを運ぶ時に「寄港して、そこで食料や水を積んで、またその先に行く」というのは、普通になっていました。
でも、ペルリが来た時には、それは日本に於いては「異常」だった。
知らないこと、知らない人、知らないものを怖がりすぎました。なので、「追い返そうとした」。
頭が足りなかったのでしょう。「海の運行には、たくさんの国が助け合いをしなければ、どこにも行けない」という普通が分からなかったようです。
助け合いをすることが、ここまで嫌がるバクフのエライさんたちは、チキンだったと思います。
「人助けなんて嫌だ、知らない人には水の補給もさせない」というのが、日本です。今も変わっていません。
どんな国籍の人でも助けちゃうのは、昔っから庶民です。
どうも、座布団の上に座ってボッケーとしてる殿様というのは、「世間を知らない」。落語の格好のネタになってますけども。
ペリー来航は、明治維新の茶番劇(あれは、革命とは言えない。もし革命だとしたら、倒されたほうは全員何らかの追放をされます。殺す必要はありません)の口実っぽく教科書には書いてあったような気がしますが、単なる茶番です。
明治維新直前のサムライ階級(名乗れば誰でもなれたし、サムライ階級の人が階級を売って生き延びるほど貧乏だった)が庶民よりもずっと力が弱かったので、イライラし続けていました。
ペルリさんの「水と食料の補給に寄らせてよ」が、「ガイジンのせいでこうなった。西洋化を目指してどうのこうの!」と、人のせいにする卑怯なサムライ階級のうっぷん晴らしも多分に入っていた茶番です。
本当は、裏で糸を引いていた人がいたのですが・・・。
(どの資料をたどっても、その人に辿り着きます。仕掛け人は今もまだ表に出してませんが、「全てがそこに辿り着くが、嘘みたいにどこにも書いていない」というのが、歴史考古学の地味な作業です。仕掛け人がいなければ茶番劇も舞台装置がないのですからできません。その舞台装置を作り、「その舞台装置を作ってもいいか?」と、お伺いを立てた相手は、マジでタブーなので、私は書きません。でも、「察する超能力を持っている普通の人」なら、「ああ・・・」とわかります。)
日本は、ずっと庶民は民主主義でした。(サムライ階級は除く=サムライ階級は、刀を差していた人達)
サムライ階級の仕事は「責任を取ること」だけです。
ほぼ、諍いの無い島国で「責任を取る」なんて事態に陥ることは稀ですから、サムライの存在意義がなくなっていた。
幕末明治で、一番迷惑したのは庶民です。
治安は悪くなっちゃうし、気が大きくなっちゃったサムライ階級が刀振り回すんです。それでも庶民は「大変でしょう。おにぎり置いときますから、食べていって下さい」って書いて置いておいたんです。
振り向くと、さっきそこにあった魚がサムライに盗られるよりも「先におにぎりを出しておく」という機転を利かせたのが、庶民です。
今も役人は潰しが効きませんが、昔も効きませんでした。
たんに座って威張ってるだけ。単に歩いていて威張るだけ。武器を持っていますから質が悪い。
それが大暴れし続けたのですから、明治維新は「迷惑」のひとことです。
西洋化なんて彼らが出来るはずがありません。座ってても立ってても歩いてても武器もって威嚇だけしかしてないんですから。
そういう馬鹿が何やったかっていうと「みんなで決起すれば、責任を負わなくていい」という大暴れです。
静岡の田舎に育った私は、駿府城の裏側の事情は普通に聞いて育ったのですが、まあ、迷惑ですわ。
幕末明治でバクフ側だった人が、ほっとんど静岡の駿府城周辺に落ちてきました。勝海舟さんもそうです。引き籠ってビビってたようですが・・・。お呼びが掛かってサンフランシスコへの使節の第一行の責任者になりましたが、「使えない」で有名でした。
(外洋に慣れていない、ルールは分からない、ひどい船酔い、体力無し、旧幕府が送り込んだ船員は、途中まで全てダウンしていました。言語が分からないから、その時に乗船してくれたアメリカ人の船長さんの通訳をやったのが、「スパイ」としてつるし上げられた人です。この「スパイ」は、一生柵の無い牢獄に入れられてましたが・・・。その柵の無い牢獄の場所の保持者=仕掛け人が繋がった時に、仕掛け人を資料で辿ったら「その上がいるじゃん」と気が付きました。茶番を起こした人は、ほとんどそこを動いていません。龍馬が「なぜ」消されたのか?は、茶番の舞台装置とは違う動きを見せたからです。知りすぎたスパイは消されます。でも、龍馬もスパイものとしては良い味出しているように、司馬遼太郎さんが「モトネタ」を元に作り上げたフィクションは非常に面白いです。史実より面白いです。)
今は、「迷惑だっ」と距離を置かれ続けられたので「私は武家の出身だ」なんて静岡で言うと、単純に馬鹿にされるだけです。
(一応「すごい!」という建前は使いますが、両手で口を隠してます)
他の州は知りません。
サムライ階級が、とても良い州もあったでしょう。そういう話をたっくさん聞きたいです。
駿河しか知らないので・・・
駿州はたくさんの人の通り道でした。
なので、「誰かに対して、よそもの・ガイジン」という感覚があまりありません。
しかし、街道からちょっと外れると、明治以前のままですので村や里を守るための自治というのはまだ存在しています。
それでも、海側の人たちは開けっぴろげで気楽ですので「来るもの拒まず・去る者追わず」ですが、山もありまして、そこは湿気ています。
元々何も変わらなくても、民主主義の最先端を行っていたのが、日本の庶民です。(サムライ階級は役立たずでした)
ルールが無くても、諍いが嫌いというDNAでも搭載しているのでしょう。
諍いは表にも出さないですが、八墓村みたいに隠すようなこともせず、解決し続けてきています。
今はクニやケンと呼ばれている場所(サムライ階級がそこにいるようになった)が何を言っても「スルー」なのが、日本の民主主義でした。
支配・被支配というものがそもそも存在していませんでした。
なのに、なんですか?
先の大戦で、参加しなくても良い「お呼びでない戦い」に参加して、大負けしました。
大敗です。
しかも、同盟を結んだ国が独裁政権の国だった。致命的です。付け焼刃の外交ですから「誰が責任を取るか?」で揉めてる間に負けたんです。
グダグダに。
で、今度は「コロナが来た(ペリー来航)」ですか。
今度こそ、「スルーしろっ」という時に、また呼ばれてもいないのに「参加します。ワクチンも輸入します」・・・。
この国のトップが誰なのかよっく考えれば、「うん、やめておこう」ってなります。
この国のトップは、一応2650年ぐらい続いてるってことになってますが、もっともっと長いです。外交上の理由から「トップはこの人」と決めなければならなくなったのが、2650年位前。
日本が最高とかそういう訳分からないのは、サッパリ知りませんが、「トップがゆったりと遊んでいられる、諍いの無い国にしましょうね」という人が、ずっと、トップにいるのに、なんですかこの体たらくは。
「やめましょう」と言っている人が、少なくとも2650年間トップにいても、サムライ階級だの、クニのトップだのがそういうことをしていると迷惑です。「公共の福祉」(空気)って言葉を知らんのかい。
本当に諍いが嫌です。
相手も傷つけるし、自分も傷つきます。
今回のペルリは、「ワクチンの補給をしに来ました」でしょう。
海運業の船にお水を補給するのは、この国は水が豊富ですから「交換条件が良ければ、どうぞ」ですが、普通に考えて今回は、「訳の分からないものを押し切られて買った。それを捌くために、先にお金払っちゃった。廃棄してもいいんだけど・・・。みんな(他の国)もやってるから・・・。協力してください」は、やりすぎです。
その「みんな」(諸外国)は、打ってません。
「みんなは、打ってません」
「あの国、その国、どの国は義務化に向かっている」風潮はあるかもしれませんが、もし「義務化」になったらCitizen's War (内乱)になります。
政治家が片っ端から吊るし上げられて、それに紐づいている人たちまでが吊るし上げられて、その人たちを極刑にして、市民が大暴れしましたよというのは、西洋文化圏の「伝統」です。
日本には、ほとんどありません。諍いが嫌いだから。
ここは、東洋の中でも「なんか違う、非常に個性的で変わっている場所」です。
「偉そうにしていて邪魔なものを追っ払えばそれで良し」にしています。
野垂れ死んでも知ったこっちゃありません。とにかく殺さないです。
「静かにおとなしくしていれば、生かしておく」程度でおしまいです。八分にもしませんし、極刑も望んでいません。
カスミガセキは、はりぼて西洋にかぶれて落ちぶれちゃって、情けないです。
なぜ、前回大敗したのかを教科書に書かないんですかね?
(書いていないこと=「教科書を作る側にとっては都合が悪いが、本当のこと」は、常識ではなかろうか?と思います。)
日本に住んでいる人が、日本のことを一番知らないのではないのだろうか?と思います。
他人(諸外国)を非難するか、従順に従って支配者として勝手に崇めてるか・・・。
個人が感じた「なんとなく嫌」。
それ以外に理由が無くても、その勘を鈍らせるような「周りのみんなもやっている」という考えは、1941~42年に始まっただけです。
(WW2に参戦した時に悪化しました)
その時、負ける前兆があって「みんなで死のう、団結せよ」というギャグみたいな所まで追い詰められました。
「みんなで打って、みんなで死のう」はありませんでした。
近代日本史(ここ200年間ほど)を全く頭に入れていない人は、後から知っても損はないと思います。
「死ねといわれたら、死ぬのか」?に、庶民が建前上であってもYESと答えてしまった。
NOと言わなくても「参戦しない」という姑息な逃げ方でも、なんでも、逃げて正解だったのです。
今、負けなくても、勝たなくても、生きていたくないですか。
勝ち負けなんて概念は、西洋文化圏の思想です。ばっからしい。
内閣府が「ワクチン接種実績」なんて書いている時点で「成績が良いと褒められた人が強迫的にその表の題名を付けた」のでしょうが、センス悪いです。
よい点数を取ると、諸外国に褒めてもらえますか?そんなもん、何の意味があるんですか?
間違って押し売られたボトルを捌かなければならなくて、ガマの油みたいに「自分の姿を見て脂汗を出している」からこそ、「実績」なんてチョロイ表題を付けたのでしょう。
官僚がチキンだと迷惑なんですよ。
日本が成績が良かったら、「みんな(諸外国)」は、この国だけを特別扱いしますか?「ニッポンスゴイ」って崇めてくれるんですか?
先に物が来ていない時に金払った/その契約を結んだという事は、次も舐められます。いつもですけれど。
虐めは舐められたら延々続きます。
金払いが良い=終わらない「廃棄先日本」になって、ヘラヘラしていて恥ずかしくない・・・ようですので、私が恥ずかしいです。
舐められてるのに悔しくもなんともない。完全に馬鹿にされてるのに、悔しくもなんともない。素直に「実績を積んでいます」を発表し続ける場所の温室は無菌なんでしょうか。
ちなみに、私は「マスクは奴隷の象徴」という西洋文化圏の思想は持っていません。
日本って、むっか~しから「表情を相手に見せない=諍いを極力避けたい」という仕草として、習慣として残っています。
下手に大笑いして相手を怒らせるより、口を隠してちょっと笑ってしまっても「すみません・・・」と言うのは、つい200年前から始まったことではないので、「マスクは支配されている奴隷の証拠」という西洋文化圏の思想とは違います。
日本の人って、音(発音)と目で感情や感覚を伝えようとします。相手に気分を悪くさせたくない(自分も気分が悪くなる)から、口の辺りを隠します。奴隷根性で口を隠していたとしたら、平安時代のお公家さんたちは「奴隷だった」っていうことになりまが良いんですか。
そのころも「口を手で隠す」というのは、庶民もやってました。
私は一介の庶民ですから、「マスクは奴隷の象徴」という西洋文化圏の思想は、この国に住んでいる限りは「関係ない」です。
元々、くしゃみや咳は、相手の顔面に向かってしないようにしてきました。相手から顔をそむけるという時は、そうやって普通にやってきたので、今更、咳エチケットだなんて、カタカナ和製英語が大好きな人が考えた即席の言葉です。関係ないです。
西洋かぶれも良いです。カッコいいと思うところも多いし、知らない考え方や風習は非常に面白いですし、ついマネしたくなるような心地よさもあります。
でも、頂けないのは「押し付けられた西洋かぶれ」です。
ここのところ、「ダイロッパが来た」という報道をニュースサイトでかなり目にします。
何の波でしょうか。
津波なら分かります。本気で逃げるかどうかを決める為には、私は本当に必要な情報を流してくれましたから。
なので、噴火や津波を知らせてくれた気象庁や、噴火があった場所に自衛官が行ってくれてますが、そういう人たちに感謝はしますが断罪することはできません。
何も分からないからこそ「見に行ってくれている」「津波が来るかもしれません、噴火がありました」と知らせる事を断罪することは、私はできません。
「死ねと言われたら、死ぬ。だって、みんな死ぬから」で、打ってる人が、ここで立ち止まっても、誰も文句は言いません。
むしろ、ホッとして涙出ます。
自分の体のこと、もっと大切にしてください。
どうして、自分の体を大切にする事が「訳の分からない、輸入した薬品を体内に入れること」なんですか?
内閣府の「ワクチン接種実績」の「3回目」の数字が伸びていません。
その数字を見る度に、ホッとしています。
「みんなで集団自殺すれば怖くない」はあまりよくないと思いますから・・・。
カルト宗教で「光の存在になるために、集団自殺」に導いたのはスピ系(黒魔術のオカルティスト)ですので、気を付けてください。
3回目、何も言わず立ち止まった人たちの力って大きいです。
あと、10年、それに対してだけは、立ち止まっていてみてください。
「結果」は、少なくとも10年後です。隠し切れない「何か」がハッキリ出てきます。
科学・化学って、少なくともその位時間が掛かります。
もう、毎日泣くのは嫌です。
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