*電子うさぎの記憶* v.2.0

*電子うさぎの記憶* ヴァージョン2です。 C-PTSDと共に生きています。

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毎度毎度、振出しに戻ります。

すごろくが一向に上がらない人生で、同じところをぐるぐる回っているような気がします。

なんか、段々「ゼロ」の概念が分かってきたような気がします。

そろそろ、ぐるぐる回っている「0」から抜け出したいです。


毎回、ようやく辿り着いて、「ここが最果ての地だな」と確信すると、大仏さんに「掌の中から出てないよ、あんた」って言われる感じです。


スタートは時間で言えば半世紀ぐらい前だと思うのですが(自分が生まれた日を自分が確証できない)、10歳にも満たない時に見た「ある風景」の意味をひたすら探していたような気がします。

私の原風景は、他の人とシェア(共有)できません。

なぜなら、頭の中にあるからです。

同じ風景を見ていても、それらの風景が「まったく同じ」ということにならないので、そこが不思議な感じがします。


誰もが「同じ物を見ているはず」という前提が全く無い状態で生きてきたので、一人ひとり、同じ物を見ても全く違う感想や感情、感覚で見えているもの自体が、全く違うことは普通だと考えてきました。

同じ映画、同じ本、同じ「何か」を見ても、誰もが違う物を見ているとしか思えないほど、多彩な風景をもう一度話してくれます。

頭の中は、電気信号で動いているハズなのに、デジタルではなく何処までもアナログなのが面白いです。


面白がっている場合ばかりではなく、ちょっと前にSOSをキャッチした子猫さんにとっては「命が危ないですっ。た~すけて~」という状態でしたから、こちらも真剣になります。

そこで、生命がクロス(交差)するの不思議を感じます。

一体、どうなっているんだろう?と思います。


そして、振り出しに戻るんです。

「ヒトが存在していない場所」という、頭の中の原風景に。


私は、自分を「ヒト」と定義できるだけの力を持ち合わせていません。

ヒトの定義が、あまりにも曖昧なのです。

しかし、現実は「ヒト」という定義があるように動いているので、その定義に合わせています。適当に。
そうしないと、ドコカに入れられそうな危険な現実から逃げられなくなります。


自分の頭の中の原風景は、盗まれると嫌です。

なぜ?嫌なのかは、分かりません。

しかし、そこを起点にして、そこに帰るという事を繰り返してきました。


心象風景というものは、言語以前の物のような気がします。

そういうものを大切にしていると、何とか生きられる感じがします。

それも「いらない」となる瞬間、きっと、見えない境界線を越えて「消える」という状態になるのではないかと思います。


その「境界線を越える話」は、本の中に沢山出てきます。

同じように「向こう側」に行く方法やら、「向こう側」を想像している人が古代から沢山居たというのが、これまた不思議です。

孫悟空のように・・・


あ、また振り出しに戻りました。

本日終了です。

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Author:電子うさぎ
C-ptsd, PTG。
(傾向は、INFJ-t, HSPです)

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