*電子うさぎの記憶* v.2.0

迷惑なサイコパス炙り出し・フロイトの手の内暴露・偽スピ系/偽精神科医/偽カウンセラー潰し。人を攻撃する目的皆無

・自立できない猫を威嚇する母さん猫

猫も1歳以上になった模様です。

ニート猫です。

もう、大人になってもいいと思って、相当突き放しても私が甘かった。

なので、突き飛ばしております。


猫の自立を促すときに、私自身が虐待を受けているので、この時期が一番辛いです。


猫の子育てをしていると、私の場合は余裕がなくて、自分のことは「なんだっけ?」というぐらいになってしまいます。

だから、一度もかわいいと思ったことがありません。

外から来たヒトは、かわいがるので「頼むよ・・・。このババーは可愛がらないが、外から来た人は相手してくれるんだ。しかし、人間は怖いというぎりぎりのラインでお願いするよ」と、猫と二人きりにして、私は10分でも休んでいます。


右前足、右後ろ脚が一切動かない状態だった子猫は、何度も書いているけれど、多分2021年の2~3月ごろ(分かりやすいようにこどもの日を誕生日に決定しました)から、人間に飼われていました。


「動けない子で、障害がある子だから、食べさせてあげて、シッコウンコも寝たままでOKにさせてあげて、優しくなでてあげて」という暮らしをしてきたのだというのは、すぐに分かりました。


鍛えるべしっ。

ぶっ飛ばしても、ヤツはしゅたっと着地して、何も無かったように激しい遊びをしておりました。


しかし、ウンコシッコを覚えなければならないのは、生き伸びるための基本なんですが、寝たきりにさせておいた親切心が仇になって、ウンコシッコは「どこでやってもいい」という「動く垂れ流し猫」に成り下がって、私がヒステリーババーを超えて、オニババアになっていました。

怒っても仕方がないのですが、部屋中にブルーシートを敷いたら、ブルーシートがウンコシッコまみれになるという有様ですから、、排泄というものが「一切身についてない、20歳の人」みたいになっています。

なので、今、もう疲れたので(暑いし)、忍耐力が切れた時に確実に殺意が抑えられない状態なので、大きな三段ケージに入れてあります。

三段目は160センチぐらいの高さで、一番上の段は高い場所に毛布で覆って穴蔵のようにしてあります。

猫は高所で狭くて暗いところが好きというか、そういう場所も好むので、どうやらそこにいるようです。


「何でもやってもらい続けると、猫もニートになる」という地獄におりますが、猫の仕事は縄張りのパトロールや、人間の監視、何かを察知したときには一目散に逃げるとか、まあ毎日よくこんなに働くよなあ~というぐらいです。
もちろん、ダラケルという仕事も入っています。
そして、すべてを破壊行動として、野生のままの状態がベストです。

生後3か月までに、猫は「自力で生きる」ということが身につかなければ、そのあと、大変な思いをします。


多分、今いる子猫は、死ぬ運命にあった。なぜなら、「障碍者で人間に全部やってもらっていたから」です。


「大声はだめですよ」「叩いてはダメですよ」「トイレが汚いからほかでトイレをするのかも」という愛ネコサイトの「人間臭さが鼻につく」のですが、それでOKなら、猫の処分用のガス室はないはずです。

噛まれて痛かったら、「物凄い痛いから大声を出して、反撃するのは当たり前」「じゃれられていやな時に里で生きている母さん猫は、頭を押さえつけて動きを封じるし、猫パンチ炸裂、子猫の耳が真後ろに倒れるほどの威嚇、本気で咬む」のも当たり前。

母さん猫がのんびりしている時に子猫が自分の縄張りに入ってきて、邪魔されたくない時は、下の歯と牙を剥いて威嚇する尾も当たり前。

あそんでよ~と近づいてきても「完全に無視」。

親猫が食べている時に、子猫がそこに近づいて待っていられなくて、親の食べ物を食べようとすると、本気で爪を出して顔だろうがどこだろうが引っかいたり、シャー以上の怖い声で威嚇して「人が食ってるときに邪魔するな」は当たり前。

子猫が遊びに行って帰ってこなくても、探しに行かない。ついてくると威嚇する。


それが猫族3か月までの普通なんですけども・・・。その大切な三か月を「寝たきりで、撫でて、食べさせて、しっこうんこを面倒見て・・・」という暮らしでは、右手右足が動かないよりも致命的だった・・・。


なので、私は今、鬼より怖い鬼になってます。

猫に教える一番最初のことは、「人間は怖い動物である」ということ。

それが分かるまでは、私は鬼でしょうよ。


ヒトは、猫なら器物だからガス室、処分、捨てる、過剰に面倒を見る、ぬいぐるみの代わりにする(人間に対してやってる人もいる)、着せ替え人形にしている人もいる(人間にやっている人もいる)、人間のほうが癒されるために猫を犠牲にするのは虐待ではないと思っている。
大人の猫に対して、一緒に寝て貰う甘えが虐待だとは思っていない。
かわいいからという理由で触り放題で、きれい好きの猫が本気で我慢させているのを虐待だとは思わない。

人間は、とても怖い。


私は、前のネコさんの時に、最初に「人間は怖い動物。私も人間だから辛い。」そこを通り抜けるのに、死のうかと思うほどつらかった。死なかったけど。

おかげで、前の猫さんは、自立した「しっかり自分で考えて、好きなように生きる」ようになった。


今の子猫が、最初の3か月で「人間は何でもやってくれる便利な道具」として認識していることを覆すのは、前のネコさんよりもずっと手がかかるし、私も、忍耐を超えて殺意まで浮かぶ時があります。

でも、ようやく彼女も、私を見ると「ちゃんと観察するようになった」。

私がトイレ掃除やご飯の用意や水の用意をしているときに、甘えた声を出して寄ってくると弾かれてぶっ飛ばされるので、しっかりと安全な場所で「この鬼を見張っていないと危ないなあ」という顔をするようになった。

トイレは、私が危険だからしっかりと砂で隠すようになり、ご飯もくれないかもしれないから、ドカ食いをしなくなった。しっかり匂いをかいで安全を確かめてから、私がいない時に食べるようになった。(危険なものがいると、猫は食べない)


それでもまだ甘えた声を出すと、私は「殺してほしいのか?」という意味で、シャーって言う。

彼女は、最初は怯えていたけれど、シッカリ睨むようになった。


大人になったら、「遊べ、人間ごときが」というのが、猫族の野生なので(右手が内側になっているので、外を歩くと骨が見えるほどになるじょうたいになり、外の野生の厳しさでは他の猫にリンチされる)、無駄に広い家の中で、シッコウンコだけはきちんとするようになれれば、放牧できるのだけれど・・・

私は、その日をもう1年も待っている。


猫の悩みは尽きません。


この子猫を、私は一度もかわいいと思ったことがありません。

しかし、小さな時から爪だけはちょこっとだけ(1ミリとか)切るだけのことは、定期的にやっているので、右足が内向きになっている状態で、爪が肉に食い込むことだけは防げている。

それしかやってないんだけども。

あ、あとは、数十年前とは違い、猫のブラシが進化しているので、けっこうそれはいいことだと思ってやっている。

食べて吐くのが猫なのだけれど、外猫はコンクリでもなんでも体をこすりつけて自家製ブラッシングができるのだけれど、それができないので、鬼がやっております。


バカ猫と鬼婆が住む里の家なのですが、彼女にとって「自分のことは自分でやるという精神的な自立と、生き伸びるだけのガッツみたいなもの」を呼び起こすのは、オニババがヘトヘトになるほどのエネルギーを使ってしまい、この子猫より長生きをするとは思っていないから、すでにそれだけが心残りで、時々泣いている。


二度と一緒に暮らすまいと思った猫族。

この子猫を見るたびに、前の猫さんが目の前に現れる記憶に突っ伏して泣いてしまい、「忘れられる脳が欲しい」と本気で思う。



2021年6月。

世界中と日本も含めて、コロナだ注射だと精一杯らしく、獣医さんはもちろん大変だけど、ほかの誰も「自分に火の粉がかかっているので、障害のある子猫なんて欲しくない」というのを全員から聞いて、「ふ~ん・・・。だから人間は怖いんだよ」と思ったし、今もアイガンペットにする人間は怖いと思っている。

私が先に死んだら、この子は、「障碍者に優しくない日本人も多く存在する場所でどうやって生かそうか」と考えると、日曜大工に逃げてしまう。

悲しすぎると体を動かさないと落ち込むから。


本当は、今も、家じゅうを駆け巡ってほしいけれど、ウンコシッコをトイレでできるまでは、6帖一間で押し入れ3つ付きの部屋で、冷暖房完備のところに閉じ込めていて、罪悪感が半端ない。

猫の悩みは、もうたくさんだ。






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