2022-11-29 (Tue)

枯葉剤というものが、ベトナム戦争で使われました。
私は、それが「飛行機が上空から撒く生物化学兵器。人体に有害で、何代にも渡って苦しむ」という事ぐらいしかしりません。
「ケムトレイル」というものを「非科学的」とか「アタマオカシイ」という人は、「ベトナム戦争で、どんな生物化学兵器を使ったのか、それをどのように使用したのか」ぐらいはご存じでしょう。
もし、宮沢賢治の「グスコープドリの伝記」を読んだり、映画を見た人がいたのであれば「上空から雨を降らせたり、上空に化学物質(リン・窒素など)を細い筋状の網の目の雲のようにして散布すれば、飢饉や干ばつ、肥料不足に悩むことがなくなる」という、主人公の想いを描いたSFは、少なくとも「科学的には不可能ではない」という前提があっての物語ですから、ご存じの方も多いと思います。
しかし、私は、ベトナム戦争であれ、宮沢賢治のSFであれ、「使用目的がはっきりしている」ので「得体の知れない不安や恐怖」というものよりも、「枯葉剤を上空から撒いてはダメだよ」や「宮沢賢治は、肥料の撒き方を考えたり、干ばつを避けたいのだな」という感覚が浮かびます。
しかし、上記の写真のように、この辺りでは年間に数度「こりゃ多いなあ・・・」という航路ではない場所の飛行機雲は、つい写真に撮ってしまうほどです。
それを「妙に怖がる」という事は、私の場合は無いのですが「次の日から数日間は雨が降る。宮沢賢治のSFが現実になったのかなあ?」とは思います。
2つだけですが「宮沢賢治のSF小説は非科学的ではないし、ここ数十年の間に戦争で生物化学兵器として利用した現実があった事」は否定できません。
むしろ「本当に雨が降らない日が続くと田んぼに水が入らないなあ・・・」という時に雨を降らせる技術ができたのかなあ?と思います。
しかし、これらの事を「情報」として公にすると「大衆を怖がっている権力者」は「公表を控える」ということをします。(「自己検問」をする)
すると、負の循環はそこから始まって「大衆は情報が無いので分からない」→「教えない(自己検問により公にしない)」→「大衆は疑う・不安・恐怖・過去の事例が恐怖を増大させる」→最初に戻るという、負の循環が始まります。
負の循環が繰り返されると、やがて「不安・猜疑心・疑い」は「恐怖」になり、「怒り」になります。
怒りや過度の不安の攻撃先は「公表しない場所」です。
しっかり調査して(調査する前に分かっている事も含めて)、「知っている者は公表する義務がある」と、私は思います。
(もし日本がまだ民主主義でいたいのならね)
しっかりと公表せずに闇雲に「気候変動」やら「CO2による地球温暖化」という「人間業ではできないホラ吹き」を流し続けていれば、「それは変だ」と理科を習った小学生なら分かります。(日本の理科はかなり高度です)
PM2.5みたいなもの(公害)は公表できるのですから、同じように「公表することは可能」だと思います。
いたずらに恐怖を煽るのは、あまり賢いとは思えません。
なぜ、恐怖を煽るのが良くないのか?というと、恐怖は混乱(混沌/パニック)を起こし、静かに考えられなくなって判断能力が通常よりも落ちてしまうからです。
人間は、まだまだ能力が劣っていません。
実は、生物としての人間は「まだ何も分からないほど」高性能なんです。
たくさんの人と接してきました。
数字を計算し続けています。
私は心理統計科学と脳科学(以前は大脳生理学と呼ばれていた分野)を嫌というほど基礎としてやりました。
それらの基礎を「一旦全てを捨てた状態で、またスタート」ということをしています。
なぜ、基礎の全てを一旦捨てるか?というと、「マニュアルが頭に入っていると、考える時に何かのフィルターになってしまって却って邪魔になるから」です。
柔軟に物事を受け入れる器が固まってしまうからだと気が付いた時に捨てました。
もちろん、それらの基礎はどこかに入っています。
「テレビは持っているけれど、テレビを見ていない」のと同じように、知っているけれども、その中身をすべて鵜呑みにしない為です。
その上で、こう考えるようになりました。
一人一人の頭を含めた体の中に、一人ひとり全く違う膨大な大きさの宇宙があるような・・・。
そんな感じがしています。
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I just wish them and we all Japanese also safe .