*しろばかうさぎノ記憶* / 旧・電子うさぎの記憶

迷惑なサイコパス炙り出し・フロイトの手の内暴露・偽詐欺スピ系/偽精神科医/偽カウンセラー潰し。人を攻撃する目的皆無

本 「絶歌」2015

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そろそろ、ブログにもほとんど人が来なくなったので、安心して好き放題書けます。



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最初に・・・

Aさんには、生きて、生きて、最後まで走りぬいていただきたいと思います。

これから先も、自分の人生が、どんなに苦しくて辛くても、自分以外を殺すという楽な道を選ばず、考えて考えて苦しんで苦しんで、辛過ぎて自分を殺したくなっても耐え続け、自殺という楽な道を選ばず、ボロボロになろうと、地を這いずってでも生き抜いて下さいね。

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まだ途中までしか読んでいませんので、ネタバレはほとんど書けないと思います。いつも通り。

この本と並行して、「少年A この子を生んで」と、「M/世界の、憂鬱な先端」と、あといくつか一気に読んでいます。


基本的に、私は被害者のご家族や被害者ご本人が書いた本を先に読むことはありません。

なっさけない事なのですが、自分が何らかの被害者だったこともあり、つい、「被害者の目線に立ちがち」という弱点があるからです。

なので、後から読むという感じです。


「絶歌」という本が出版された時、「なんで、出版の自由を阻害する人が多いんだろうか?」と思い、何らかの攻撃が大きな時は、「業火が下火になってから」にすることにしています。
ベストセラー本なども、同じようにしています。

その炎上具合が、普通ではない感じがしました。
誰かの心の傷に触っている可能性も非常に高い。
それだけの反応を引き起こすほどの、心理学的危機(サイコロジカル・クライシス)を、メディアが煽ったのだろうなあ・・・。と思っていました。

「絶歌」と、上記に挙げていない本を含めて何冊かのノンフィクションを並行して読むことは、「その事象を外から見た目によって書かれた、客観的ではあるが、文字に落とす瞬間には主観的になるもの。しかし、内側に入らない努力をしている本」が付き添っていてくれないと、自分が揺らぐので心許ない。


伴走してくれる多数の本(人)がいなければ、とてもではありませんが、あれだけの炎上を出版当時に避けたとしても「自分が危ないだろうな」とは思いました。


まず、「まだ燻ぶっているであろう、アマゾンの本のレビュー(批評)」をちょこっと読んでみました。

もちろん、お目当ては星が一つのレビューです。

「見事な分裂」「鋭い考察」がそこにはありました。

本のレビューは、思考のタイムカプセルみたいだなあと思います。


この本が出版された2015年あたりは、ネットのフィルターバブルがアナウンス無しで跋扈して「人の思考の小手調べ」をしている最中でした。
「ネットの中で、人の囲い込み」が行われた上に、https にアップグレードしなければダメというルールに変化し、http の有益なHPを、一気に排除した時でした。

「炎上に巻き込まれた人は、フィルターバブルにより、炎上している文言しか見えないようにされた時」と出版が重なっています。


今も「フィルターバブル回避は必至だよなあ・・・」と、思います。


他のレビューサイト(本)は、アマゾンみたいに炎上せず、落ち着いています。

個人として「この本を読みました」という、アフィリを除いたブログやサイトは、落ち着いています。
世界に向けて無責任に書くだけ書くという場所ではなく、私もそうですが、メールフォームやコメント欄を開放しているので、「ほかの人からの意見も聞く姿勢」という物が、一人ひとりある状態です。



いくら、「自分の気持ちを素直に全部出したいな」と思っても、絶歌のような本は、司法上「書いてはダメ」という部分があります。
なぜかというと「今も服役中だったり、施設での試行錯誤の中の様子を外に漏らすこと」で、いらぬ中傷を避けるという目的があるからです。

いくら、「中の様子を書きました」と、違う本に書いてあっても「書いてはならない部分」というものがあります。

なぜなら、事件を起こした人が外に出てきた時が、一番危ないからです。
危ないのは、「一般市民」と呼ばれている無名の集団からの暴力の事です。
出てきた瞬間に煽られた人たちによって、最悪の事態が起こっても変ではありませんから。



日本は、「限度というものを失わされた時」があります。1945年。

住んでいる場所の根っこを「隠されている」という状態が今も続いています。
世界の「本当のことを知りたい」という運動と、「何かが欠けている、それを知りたい」という日本固有の動きの違いは「日本がコントロールされ、過去を隠された事で、個々人が根っこを容易に探れないようにさせられている」という事実がそれを裏付けています。

「知りたいことが分からない、知りたいのに見つからない」という不満やイライラや、持って行きようのない怒りや悲しみが、誰かに向いた時が一番怖いです。
不寛容という一言では言い表せない憤怒が渦巻いてしまいます。

今も「何をもって犯罪とするか」を見失った人が多いと感じています。
見失った人には一切の責任がないので、余計にイラつくのだと、私は考えています。

なので、そのイライラを表出させている「言いっぱなしのレビューで、星一つのもの」が、実はとても大切なものに感じます。
極端な憤怒が表出しているということに、何か意味があるように感じるからです。
(アマゾンなら、分断工作員も混じっているように思いますが・・・)


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絶歌を読む前に、一通り「M/世界の、憂鬱な先端」という本を読んで驚きました。

それは、「Aという人は、忘れられない人だった」ということでした。

それを頭に入れて、絶歌を読んだのですが「その時見えた全てを見ながら、その場面を書いている」という事が分かりました。

レビューの中に「中二病」という言葉を見かけますが、それは鋭い指摘です。
Aさんは「その時、その場所、その雰囲気と全ての音や景色、気温や湿度を、そのまま劣化しない記録として格納しているものを、そのまま書いていたから」です。

「忘れることができない苦しみ」というのは、筆舌に尽くしがたい。

小さな、たった一言が「劣化しない」のですから・・・。

それが溜りに溜まると「外に吐き出さなければ、気が狂ってしまいそうになるし、その記録によってまた同じことを繰り返す自分をだれよりも疑う」という状態になります。私の場合ですが。

私は、忘れられない記録を抱えていて、出版などはしませんでしたが、「すべて書き出したら膨大な量になって、筆を握る力が入らなくなるまでになっている」という事が続いていました。

しかし、自分の外に書き出したと思ったのに「まだ苦しい」のです。
そこで、私は「これは、人に聞いて貰わなければならない物なのかもしれない。信じてもらえる云々ではなく、誰かに話すことで何かが変わるかもしれない」と思ったので、話続けているのですが、未だに話が尽きません。

なので、Aさんの記述を見ていて「こんなに記録していたら、バーストするよなあ~(限界を突破しそうだよなあ)」と思いました。

私の場合、話しても話しても尽きない記録を一つ、人に伝える度に「ふっと、鎖が一本ずつ消えていく感覚」というものがあります。


Aさんは一線を越えました。

私は、一線を越えない為に、その「忘れられない記録」を使っています。


途中までしか読んでいませんので、また書くと思いますが、この本を読んだ時、「一線を越えないでほしい」という絶叫としか思えない何かがありました。

実に皮肉なことなのですが、Aさんが「私はモンスターになりたいです」と言いつつ、私のストッパーになってしまったので、「いいのだろうか?」と、ちょっと思います。

「一線を越えるな」という絶叫を歌った人の声が届いて「私を止めた人がいた」という状態を、素直に喜んでいます。

「今読む本だったんだろうな」と思います。



Aさんと、私の違いが「時々見当たらない」という部分があります。

紙一重なのだと思います。




一つだけ気になったことがあります。

これから、ご両親が書いた「この子を生んで」も読むのですが(読む順番を間違えるとまずい)、どうも、誰もが見落としている部分があるような気がします。

なんとか言葉にしているけれど、言葉になりきらない部分の中に、「見落とし」がどうしてもあるのです。

なぜ、それについて、ほとんど誰も気が付かないのかなあ?と思います。
(気が付いている、非常に勘の鋭い人もいます)



ここに挙げた本の一冊の「M/・・・」を書いた吉岡忍さんという方は、1948年生まれです。
ご健在だと思うのですが(著者については、ネットでも調べません)、「戦後自虐史観がガッチリ頭の中に入れこまれている」という状態で書かれておられます。

それに、精神科・精神分析のインチキに気が付かず、精神医学を信じ込んでしまっているからこその落とし穴に落ちてしまっています。
「精神疾患患者であり、精神病の発明家であるフロイト」が頭に入っています。

なので、「客観的に書く努力をしているのだが、戦後自虐史観により頭を乗っ取られた人の主観的なノンフィクション」です。
とても貴重です。

ノンフィクションを書いた著者の「根っこが無い虚無感」とAさんの違いが見つからなくなる時、書く手が止まっていそうな気がします。


日本語で書かれた精神科医の本に登場する「ノイローゼ」「乖離」(解離)は、「想像でしかない」という基本がまだ浸透していません。仮説でさえありません。

薬物を売るためにはどんな病名でも作る精神科医のやり方と同じ方法が、コロナにかかわるワクチンを妄信させようとしたし、している最中なのですから、精神分析医や精神科領域があまり好ましくない方向に利用され続けていると、私は思います。

精神科医の書いた「少年Aを分析します系」の本は読む気が起きません。

(そういえば、実名を出さずに「少年Aはサイコパス」という、とんでもない事を書いていた精神科医がいましたが、「普通の人でも”サイコパス”って、既に思っている人もいるでしょう。それを深く掘り下げる事で何が見えたか?をやってないんだろうな~」と、ちょっとだけ思いました。数字やデータを含めた包括的な分析ができないのだよねTT)



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モノグラムが好きというAさんの「バモイドオキ」という神様の名前に関しては、「なるほど・・・」と思いました。
たった一言で、自分をここまで分かっているのであれば、正常ですよ。

「バモイドオキ」=「バイオ・もどき」=偽生物 


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この本に対しての批評の中に「被害者への配慮が足りない」という言葉が散見されました。

私は、違う加害者による被害者だった当人です。

「被害者だった私にとって、メディアに踊らされている傍観者から「被害者に配慮しろ」と無遠慮に言われる事ほど胸糞が悪くなることはない」。










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