*しろばかうさぎノ記憶* / 旧・電子うさぎの記憶

一段落付いて、普通の徒然に立ち返りました。私は自分を育ててくれた国を知りませんでした

映画 「ローズの秘密の頁」2016/アイルランド

でたよ、ストーカー神父。

今も日本で行われている、理不尽な精神科病棟への収監と、実際には檻がない場所で自分を閉じ込めてしまうほどの精神的な苦痛から逃れるための人間の英知を見た。

アイルランドは「息が詰まるから出ていきたい」という映画が多いというか、たまたまそういう雰囲気のものに当たってしまうのだが(ブルックリンとか)、息苦しいんだろうか?

アイリッシュへの弾圧は、今も続いている。


英国のお金をアイルランドでは使えるが、アイルランドのお金は英国では使えないという理不尽さはどうなったんだろう。


ただ、自由に伸び伸びと生きているだけの女性なのに、周りが異常とか変わっているとか、世間体がどうのと気にする・・・、人って変わらないのかな?と思う。

納得できないのは、倫理に反するという理由で一時は禁止された電気ショックが日本で復活しているということ。

映画を見ながら、「この忌々しい電気ショックという暴力を復活させたのはなぜだ」と思った。むっか~し、精神科医がウキウキした口調で「電気ショック療法ってね~♪」と話しているのを聞くことは、苦痛でしかなかった。

またまた、ロボトミーと同じ事をやろうとしている「医療」と名の付く暴力を、人間はいつまでやるつもりなのか。



ただ、40年間、本当に会いたかったお子さんに会えたのは、奇跡だと思う。

ストーリーがどうのこうのではなく、女性が聖書の文字を改竄しちゃったり、聖書本文を消して絵をかいたり、聖書の中を切り抜いたりしても、神様は怒らないんだよなあ・・・。
聖書の使い方を一切間違っていなかった彼女の信仰心と、奇跡は、起こりうることではないかと思った。
そして、ストーカー神父には救いがないと思った。(後で告解をした所で、過去は消えない)


この映画は、なぜか、今観る映画だったような気がする。

長い間、サイコパス実母の幻や、そのほかの耐えられない事柄、20年以上に渡ってモラハラDVを受け続け、ようやくそこから逃げ出したら、自分がババアになっとったっ・・・という、訳分らん状態の時に観て「そうなんだよ、私ももうばあさんなんだよ。気が付いたらそうなってた」と思いつつ、ことごとく気持ちが分かってしまった。


映画を見ながら「きっと良い事がある」と思いながら幻に付きまとわれたり、マインドコントロールをされても、自らを見失わない方法をたくさん思い出していた。


実母サイコパスが30億持ってても、何に使うかと言ったら分かんない。お金持ちらしいけれど、私は日々の暮らしの中で猫さんを抱っこして二人で炬燵に入って、毛布の取り合いをしても、お金を奪う為だけに執念で生きたであろう実母サイコパスを芯から可哀そうだと思っている。

多分、使っても使っても増えていく仕組みがあるのだろうけれど、怨念だけで生きた人が得たものは、「数字」だけだった。

彼女は、一円も使えないと思う。

お金を使っても、手応えがなさそうな気がする。

私は、実母サイコパスのように、人を合法という殺めながら生きるということだけはしないと決めていたし、お金は大切だと思っているし(殺して奪うものではないと思っている)、最初から無い物だと思っていたから、「金だけ、モノだけ、自分だけ」のサイコパスのゲームがバカらしく感じている。

カジノなんて作ったってサイコパス実母みたいな殺して奪った金を持って集まるような場所になる可能性もあるんだよなと思うし、花札やちょっとしたゲームのほうが楽しい。(あ、お金をかける花札って非合法なんだっけ?w)


私も、殺された子供に会いたいなと思う時がずっと続いているから、映画だけでも奇跡が起こってほしい。



著者 :
TCエンタテインメント
発売日 :

(ブクログにちょっとは広告代が入ると、このサイトが続けられると思うので、ブクログに収益があるように貼り付けておきます。
映画の感想は、オールシネマのほうが辛口で面白いんだけど・・・^^;)




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聖書の中に、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」は、結構好きです。

どうやら、どの宗教でも「右が善・清いもの」で、「左は悪・悪いもので醜いもの汚いもの」という共通した事がある。

聖書の解釈がどうのではないけれど、「自分の清い部分を穢されたら、自分が持っている狂暴で悪いもの、そして汚く醜い部分を相手に差し出そう」というのは、「人間は両方持ってる。良い方だけではない自分を偽らず、やり返せ」という意味だと思っているから。

右を打たれたら、左も打たせると、相手はたぶん地獄を見ると思うんだよなあ・・・。


「右の頬を・・・」の解釈を変えさせた人に対しては、どうかしてますよと思っています。


たしか、ハンムラビ法典やコーランにも同じ文言があったような気がします。
キリスト教の経典は変えられ過ぎて原文が全く生かされていなくても、解釈を変えられても、それでも残っている「必ずやり返せ。そうしなければ、相手は痛みを知る事さえできない。痛みを知るために手伝ってやろうぜ」という聖典のもともとの意味が、心強く感じる時があります。

私は、やり返す度胸がないので、右頬を打たれたら実際逃げてますw。








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