*電子うさぎの記憶* v.2.0

*電子うさぎの記憶* ヴァージョン2です。 C-PTSDと共に生きています。

・暴力の被害者とは

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私は、どうも、言葉を失うような人生を送ってきているようです。

「ソレがフツウ」だと思っていた事が、どうやら違う。

地獄の門も消えてしまったし・・・。どういうことなんだろう。



私は情報系のブログを書けなくて、自分が考えたり、体験したり、行動したことを書くしか能が無いのですが・・・。

「これは、大多数の人が誤解しているだろうなあ」ということも、肌で感じていたりします。


DV・モラハラ・パワハラなどの、全ての暴力の被害に遭う人の特徴が「ああ、ソレ違うね」と思うことが多く、ずっと考えてきました。25年間ぐらい。

自己肯定感が低い人という特徴を持つ人なんて居ないんス。

劣等感が跳ね返って、加害者になる人も「マイノリティ」です。

そして、連続して犯罪を行う人、再犯する人も、「見かけは、良い人」なので、「そうは見えなかった」という当たり前が報道される場合は、する価値なしです。どの人も、「良さそうに振る舞いターゲットを引き寄せ、犯罪を犯せるように準備する」のですから。
(引き寄せの法則って、読んだことがないのですが、「思ったことは、実現します」でしたら、犯罪者も「引き寄せの法則」を経験から知っているのでしょう。敵ながらアッパレ。自己投資額¥0でその法則を身につけているのだから。)

とっさの犯行の場合は、何かを起こした人自体がパニックになってしまって、固まってます。「良い人のまま次の瞬間を迎えられないまともな人」は、再犯する必要がない。


で、被害者の特徴を、モラルハラスメントやDVの本を読んでいて「ん?」と思う場所が必ずあります。

「責任感が強く、真面目で、自己肯定感が低い人」

なんの事でしょう?


言葉を選んだほうが良いです。

本当に被害に遭った事があり、私は過去にDVという言葉がない時に警察に相談しても埒が開かず、離婚したことがあります。

加害者は「外面がよく、金払いがよく、義理堅く、真面目で責任感があり、優しい」と、周りが言っていた人です。

パーフェクトです。逆に怪しいです。婚姻期間は2年に満たなかったですし、婚姻後、すぐに「離婚の準備」を始めました。とにかく水面下で動くことで、サポート無しですから、時間がかかります。


で、DV被害者であった私は「自己肯定感が低い事は有り得ない」
(虐待加害者から逃げた自分の行動を信じている事は、決して自己肯定感が低くない)。

「暴力を振るわれている自分が悪いと思ったことは無い」
(その場をやり過ごす方法で、護る命(ねこさん)の前で相手をなだめる行動は、命を守るための知恵ですし、体を張る行動だと思っています。面前DVを受けてきたからこその行動です)

「支配と服従の関係から抜け出せないということは神話でしかない」
(DV法が公布された年に、警察に行きました。施行前ですが、「公布」は「法が通りましたという広報」ですから、事実上DV防止法は、存在しているという前提があり、抜け出すための行動をしました。警察はDVの存在を知らず、「夫婦喧嘩」と言い逃れをしましたが、その後、改善されたのは「沢山の被害者の勇気ある行動が沢山の人の心を動かした」からだと思っています。その先駆けになって、警察に話を聞いてもらえなくても「DV防止法が公布されたので、相談に来ました」と言い続けたことは、無駄ではなかったと思っています)

「支配されそうな雰囲気でもない」
(様々な面で、化け物扱いですから・・・。)

「メンタル病んでそうでもない」
(HSPの傾向を持つ場合、「利用される事」は、多いですが、これは精神的に弱いのではないと知っていた。「確実に勝つ方法」を練る事が弱いというのであれば、今頃まだ、毎日骨折していただろうと思う)

「暴力を受けている自覚があった」
(理不尽な暴力には、真っ向から勝負しようとして、逆に避けられてきた。若い時って無鉄砲だったなあと思う。)


「恐怖感はあるが、それを解消するには、原因を取り除くことと知っていた」
何らかの要因で、生命の危険・心の危険を感じた時に「恐怖」を感じるので、その原因を探るのは当然で、その原因が「加害者」であれば、排除するのは、自然な流れ。

「逃げられない事は有り得ない」
(虐待加害者から逃げていて、逃げ切ってから感じたのだけれど、「チャンスとタイミング」があれば、命がけで逃げて生き延びて正解だったと知っていた。勢いが無くても、生きると決めることは、「逃げるという行動」に現れたのかもしれない。)


「暴力を一度でも振るう人は、他のニンゲンにも振るっている。その人は変わらないし、私がその人を変えることも不可能と知っていた」
(当たり前です。でも、マインドコントロールされている場合が有るとしたら、「世間話を禁じられていても、誰かと挨拶すること」。嘘みたいに単純な方法ですが、普通の人の普通の応答が「暴力による支配とコントロール」を吹き飛ばすぐらいの威力があります。普通の人の普通の感覚って物凄い力があります。「あれ?」という、その感覚が人を救っています)




被害に遭う人は、私も含めると偉そうになるので除きますが、沢山の暴力被害者の人達が「持っているもの」を挙げることは可能です。


「その状況に耐えるだけの力がある」(加害者には無い)

「自分を省みる力がある」(加害者には無い)

「適応能力が高い」(加害者には出来ない)

「優しさという感情がある」(加害者には無い)

「受け入れる器が大きい」(加害者には無い)

「フェア(公平)・対等という感覚を知っている」(加害者は知らない)

「責任というものが存在することを知っている」(加害者は「コトバ」は知っていても、その概念を体験したことも経験したこともない)

「自分で自分の面倒を見れる」(加害者は自分のケツも拭けない)


加害者に無いものは、「強さ」です。

被害者が持っているものは「強さ」です。


未だに、「女・子供は弱い」「繊細な人は弱い」というのは、それが何時代の感覚なのかを考えてみてくだされ。

江戸時代・明治・大正・昭和・平成は「過去」です。


一度でも理不尽な暴力を振るう人は、一生、繰り返すだけです。学習する能力がないからです。

そんな人は、永遠に終わらないメビウスの輪に一人で入り込んでいて下さい。

既に、暴力を振るう事にハマってしまった人は、それが、自分を苦しめている檻だとは一生気が付かないでしょう。




被害に遭われている方は、「生きる」と決めた瞬間に「勝ち」です。

加害者は、自分が生きるか死ぬかも決められません。

加害者は「自分の代わりに生きて欲しい。自分の代わりに食べて欲しい。自分の代わりに負の感情を処理して欲しい」だけです。

加害者は「他人が自分の代わりに生きるのは不可能なのに、ソレをやろうとしてくれるその姿を見ると、アドレナリンやドーパミンやらエンドルフィンが出る」という、脳の分泌物中毒です。
(全能感か何かかもしれません。)

アルコール中毒の人に対して、「私が代わりに中毒になってあげるし、あなたの代わりに毎日10Lのアルコールを飲んであげる」っていうのって、正常な判断でしょうか?

自己破壊というものが、逆にアドレナリンを放出することもあります。

しかし、実は、それは、「自分の命を守るために、体が動き続けるための脳内物質を放出させる」という行為です。

加害者のためにやっていることではなく、経験から身につけた知恵でもあります。




私は、誰かの代わりに生きられないこと、誰かの代わりに死ぬことが叶わないことを知っています。

かけがえのない命が尽きる時でも、私がその生命の代わりに死んで、その生命が生きながらえるという事ができませんでした。

相手を尊重するのなら、本当に大切だと思うのなら、本気で愛しているのなら、「その命を、その人のものとして尊重する」ということも、愛することだと、猫さんに教えてもらいました。


被害者は「優しく強い」。


何が強さなのかを考え続けましたが、「優しさは最強」だと思います。

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